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二〇一三年度憲法問題学習会(4)

滋賀の生協 No.164(2013.12.20)
二〇一三年度憲法問題学習会
憲法は何のためにあるのか
~九六条問題と平和・人権~

2013年10月12日(土) コープしが生協会館生活文化ホール

講師 土井 裕明氏
(弁護士、滋賀弁護士九条の会代表、NPO法人消費者ネット・しが理事長)

   日本国憲法の成立過程

 日本国憲法ってどんなふうに出来たのか、おさらい・整理をします。

  戦争で負けが確定的になってポツダム宣言を受諾し「松本私案」という、わりと大日本国憲法と変わらないような憲法案が提案されました。
  それとは別に民間の方でいろいろなたくさんの種類の憲法案が作られました。そして「松本私案」に対して、「こんなんじゃダメだ」ということで「マッカーサー草案」というのが作られて、それを受けて「憲法改正草案」が作られて、芦田均さんという方が委員長を務めていた憲法改正小委員会が一部修正を加えて、今の日本国憲法になった。こういう流れです。

  「ポツダム宣言」というのは、「軍国主義者は追放しなさい」「新しい日本が始まるまで連合軍が占領します」「領土は、主要四島、本州、北海道、四国、九州だけにします」「戦争犯罪人はきちんと処罰します」そして「民主主義の復活」、復活というのは大正デモクラシーなどの動きがありましたから、そういうものを復活させて、「言論の自由を保障して、人権も保障します」と言った内容です。この「ポツダム宣言」を受諾しました。

  そして新しい憲法を作らないといけないということで、松本烝治という人が松本私案(松本四原則)を作ります。「天皇が統治権を総攬する」「議会の権限を拡大して、天皇の権限をある程度制限する」「国務大臣は議会に対して責任を負う」「人民の自由と権利の保護を拡大します」。こんな四原則です。「天皇が統治権を総攬する」って、そんな案を作ったって駄目に決まっているでしょう。また、「軍事行動には議会の賛成を必要とする」という項目もありました。「ポツダム宣言」で武装解除することになっていたのに、全然「ポツダム宣言」通りの案ではなかったわけです。

  それで、「マッカーサー三原則」というのが示されます。一応天皇制は残しておいてあげよう。でも「憲法のもとで天皇は活動します」「戦争は放棄しましょう」「もっと民主的な憲法にしなさい。封建制度は廃止しましょう」こういう三原則です。

   押しつけ憲法論について

 「今の憲法はマッカーサーに押し付けられた憲法だ」という言う人がいます。

  誰が押し付けられたの?「松本私案」のような憲法を作りたかった人たちにとっては「押し付けられた」のかもしれません。

  何を押し付けられたの?国民主権で良かったのでしょう。天皇主権が良かったのですか。基本的人権が保障されるような憲法でよかったのでしょう。

  当時の地方の新聞を見ると各地で「新しい憲法ができて良かった」というお祭りをいっぱいやっているのです。大津でもやったようです。だから当時の国民はこの憲法を歓迎していたという事実があるわけです。

  「松本私案」が示されて、マッカーサーがそれを見て激怒して「こんな案ではだめだ」と言って「マッカーサー草案」を示した。こういうストーリーがよく言われますが、実はこの「マッカーサー草案」の下敷きになっているのが、民間の鈴木安蔵という人がやっていた研究会のグループの案ではないかと言われていています。その案というのが「松本私案」の対極にあるような非常に民主的な内容です。

  「松本私案」は国の機関が作っている公式の案ですけど、民間レベルや、いろいろな政党の案がいっぱい作られていて、その中の一つが「マッカーサー草案」の下敷きになったのだろうと言われています。別に押し付けられたわけではなく、たくさんある案の中で「これが一番良いのではないか」と選ばれただけであって、結局案を作ったのは日本人ですから、別に押し付けられてはないのです。

   九条のどこが画期的で重要か

 九条一項「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

  九条二項「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。

  おなじみの条文ですが、一項と二項ではどちらが大事な条文だと思いますか?一項も大事ですけど、実は二項はすごく意味があるのです。

  一九二八年、第一次世界大戦が終わった少し後に、主要な大国間で「パリ不戦条約」が締結されます。「第一條 締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス 」「第二條 締約國ハ相互間ニ起ルコトアルベキ一切ノ紛爭又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ處理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス」こうなっています。

  「パリ不戦条約」は「戦争で国際紛争を解決するのは、やめましょう」と言っているのです。日本国憲法より前に「戦争をやめましょう」という条文はあるということです。
  もう一つ「国連憲章二条四項 すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」

  「武力による威嚇又は武力の行使をしません」と言っているのですね。九条一項とそっくりでしょう。だから九条一項というのは、すごく大事で良い条文ですけども、決して他に例がないわけではない。

  しかし、「パリ不戦条約」も「国連憲章」も、「国の自衛権」を否定していません。つまり、「国際紛争を解決する手段として、戦争はやりませんよ」と言ってはいるけど、「他所から攻められたら、軍隊で以てそれを跳ね返すことはOKです」ということは含まれているのですね。

  ところが、日本国憲法は一項で同じように言っておきながら、二項では「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と言っているのです。要するに「戦争をしません」というだけだったら、「自衛のための戦争、自衛のための戦力の行使はやむを得ませんね」ということが含まれている可能性があるわけです。でも、二項で「軍隊を一切持たない」と言っていますから、当然戦争にならないということですね。

   自衛隊合憲論

 芦田均さんという方が、憲法の案を作る委員会で、「原案」から一応修正をしたのですね。第九条一項に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」という一文を修正で入れています。そして二項に「前項の目的を達成するため、」という一文も修正で入れています。(※)
(※)
【原案】
「第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを放棄する」 「二 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない」

【修正後】
「第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
「二 前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
 この「芦田修正」を憲法改正に結びつける考え方があって、「国際平和を誠実に希求する」→「そのために軍備を持たない」と言っているので、裏を返すと「自衛のための武器は放棄しない」「そういう意味のある修正案だったのだ」という意見を言う人があります。

  もう一つ、現行憲法の六六条二項に、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という条文があります。「文民」とは「軍人ではない人」です。つまり、「陸海空軍その他の戦力」が一切存在しないとすると、軍人も存在しないはずであり、国務大臣が文民でなければならないとする規定が何のためにあるのか説明がつかなくなる。だから、憲法は軍人の存在を予定しているという解釈の根拠となっている」こういう議論もあります。

   あたらしい憲法のはなし

 「あたらしい憲法のはなし」という小冊子をご覧になった方もおられると思います。この本はあたらしい憲法ができた時、中学生に「あたらしい憲法とはどんなものか」を勉強してもらうために、当時の文部省がつくった教科書です。当時の政府の公式見解と考えて良いものです。

  六戦争の放棄…戦力の放棄 「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。…

  だから軍隊を捨ててしまって何もなくなっても、決して心細く思う必要はありませんよということが書いてあるのですね。これは非常にシンプルでわかりやすいです。
  日本国憲法の前文にも、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と書かれています。

  ここまで書いておいて「自衛のための戦力を持つのは許されているのだ」というのは、そもそも無理があると私は思います。
 
  私、実は中学生の時に、父親から「これを読みなさい」と渡されました。私の父は両親と兄弟四人で満州にいました。終戦で引き揚げる時に両親と兄弟一人を亡くし、小学生だった三人の兄弟だけで帰国したのです。残留孤児になっていた可能性もあったわけですが、幸い親切な人に連れて帰ってもらった。両親を亡くして小学生だけで戻って来ていますから、生活できないので、三人の兄弟がバラバラで親戚に引き取られたのですね。

  そういう経験をした親から、「これを読みなさい」と言われて読んだのです。
  これを素直に読めば、憲法九条で何をしようとしたかというのは、自ずと明らかです。

  九条の改訂の話を正面からせずに、九六条を改正してハードルを低くし、その時の勢いで、一気に憲法改正してしまうという、そういう話がいかにも安倍さんらしいです。九六条の改正というのは、かなり滅茶苦茶です。「九条改正には賛成だけど、九六条改正するのは反対だ」という人もいっぱいいます。

  憲法に縛られなくてはいけない人たちが、自分を縛っている憲法が邪魔だから、その憲法を自分たちの思い通りに変えたいから、コソッと変えやすくする。こういう話なので、およそ憲法に対する敵対行為でしかないのです。

  そういうことを今日はご理解いただけたらと思います。ありがとうございます。

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