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第九二回国際協同組合デー・滋賀県記念講演会(3)

滋賀の生協 No.168(2014.10.20)
第九二回国際協同組合デー・滋賀県記念講演会
地域との連携でつくる協同組合のバリューチェーン(価値連鎖)
~作る側、売る側、使う側、食べる側の持続可能なコミュニティーづくりについて~

2014年7月9日 滋賀県農業教育情報センター
主催 IYC記念滋賀県協同組合協議会

講師 青山 浩子氏
(農業ジャーナリスト)

   農村と都市を結ぶ仕組づくり

 次は、地域の宝物を地域外にも価値連鎖させているという事例です。
 福井県池田町の人口は三千人。「合併をしない」ことを貫いています。福井市から約一時間、岐阜県に近い山に囲まれた町で、主な産業は農業です。農業をやっていくという新規就農の夫婦を支援するなど、農業でしっかり生きていこうとしている町です。この町は、牛糞を完熟堆肥にして使ってもらい、「頑張って減農薬をめざしましょう」「それをクリアできたら無農薬にしましょう」「そして有機をめざしましょう」という政策を特徴としています。高く売れる有機米を生産のモチベーションにしているのです。このマーク(※1)は、減農薬のマークです。有機をめざそうとしている段階の土地だということです。

 ここの事例は、農村と都市を結ぶ仕組みづくりに長けており、直売所の仕組みを上手に使っています。
 朝七時半、八〇歳代、若くても七〇歳代の高齢の生産者が、町内に設けた約二十数か所の「ステーション」に、直売所に出荷したい産品を持ち寄ります。持ち寄られた産品は、二トンぐらいの集荷車に積まれ、福井市のお店へ運ばれます。山深い農村なので直売所をつくるより、人がいるところに持って行った方が良いという考え方です。

 集荷車が「ステーション」に着くと、おばあちゃんたちも手伝ってコンテナを積み込みます。「ステーション」は二十数か所でありますので、早いところは七時ぐらいから、遅くとも八時ぐらいに全部積み終わって、「いってらっしゃい」と見送るわけです。

 出荷したら終わりです。「おばあちゃん、お金たくさん儲けています?」と聞いたら、「そんなお金のことなんか」と言いながらも、「孫の自動車学校のお金を、私が直売所のお金で行かせてあげた」と、うれしそうに話していました。一人あたりにしてみたら年間五十万円とか百万円なのですが、おばあちゃんには金額以上の価値があるようです。

※1 有機をめざしている段階の「減農薬マーク」

朝7:30 直売所に運んでもらうために
ステーションに持ち込まれたお花
 出発した集荷車は、約一時間かけて福井市のスーパーの一角にある直売所「こっぽい屋」に届けます。「こっぽい」とは「ありがたい」という意味だそうです。「ありがたいお店」ということで、平成十一年にできています。

 「こっぽい屋」には、お客さんがたくさん来ます。売り場というのは圧縮する方が良いのだそうですね。大きなスペースに商品がポツンと置いてあるより、狭いお店に圧縮してたくさん並べた方が、店が繁盛して見える。十二坪のスペースに二重に積み重ねて、乗りきらないぐらい並べます。九時半にはオープンの準備をしないといけないので店員さんは毎日が時間との戦いです。
 おばあちゃんが出荷したお花、新米、特別栽培米、有機米は「ちょっと高いかな」と思いますが、ここにストーリーがあるわけですね。
 高齢者含めて頑張っている池田町から、一時間かけてゴッソリ村がお引越したように、モノが集まっています。他のお店にもお客さんはいますけど、まずはここで、野菜や、惣菜や、福井で食べられるホカホカの分厚い揚げを買って、足らないものをスーパーで買うという、良い循環になっていました。

 残品はどうするのか?普通委託販売だと翌日「あなた残品です」と返されますが、それでは農家も困るし、店も面倒くさい。おばあちゃんに「残品はどうしているのですか」と聞いたら「鍋か桶に行く」ということでした。「鍋」とは「惣菜用の野菜になる」ということで、「桶」とは「漬物になる」ということだそうです。つまり、残品は店側が買い取って、スーパーの中にある小さい厨房で惣菜にします。漬物に使えるものは、池田町にある漬物の工場まで一旦戻すということです。直売所を基点とした無駄のない循環の仕組みができており、一二坪の店舗規模ですが、年間約一億五千万円の売り上げが維持されています。

 少し前まで、日本の直売所は一万七千店舗と言われていました。最近の農水省の調べだと、二万二千店舗に増えています。既に潰れているところもあります。直売所は淘汰される時期に来ていると思うのですね。いかにロスをなくすかということと、お客さんのいるところにお店を出すということ。この池田町のやり方は、今までの直売所に対して、一つのメッセージを発信しているのかなと思います。

朝8:00 ステーションに集まった産品をトラックに載せて直売所へ出発

福井市のスーパーの一角に設けられた直売所
「こっぽい屋」

12坪のスペースに二重に積み重ねられる池田町の農産物

   子どもたちが「農業科」で学ぶ

 残りの二つは、販売以外の部分で、いかに地域の財産を連鎖させていくかということで頑張っている事例です。一件目は福島の喜多方市の「食の教育」にかかわる事例です。
 これには農協のOBや現職員も関わっているということで、協同組合の価値、役割も少なくないとつくづく思いました。

 ラーメンで有名な福島県喜多方市。そこで小学校の授業の一環として、「農業科」という正規の授業が行われています。時々田んぼをやるとか、さつま芋を掘るということではなく、「国語」「算数」「理科」「農業」という正規の科目と同じように「農業科」というのを設置しています。
 切っ掛けは、中村桂子さんという生命科学者が日経新聞に書かれた「農業こそ小学校で必修に」という記事でした。それを読んだ当時の市長が触発され、教育委員会が調整をつけて、平成一九年「農業科」を設置しました。「農業科」は年間七〇時間ある「総合的な学習」の半分の三五時間を使って、三年から六年の児童が学びます。子どもたちは、夏休み、冬休みを除くと、ほぼ一週間に一回農業を勉強することになります。

 大人は手助けをしません。例えば夏に草が生えても、農家や先生が草むしりをするのでは意味がないわけです。収穫をする喜び、種まきをする喜びはほんの一瞬で、その他の大変な時こそが農業の流れだということを学ぶために、出来るだけ大人は手を添えません。
 目的は「農業を学ぶ」ではなく「農業で学ぶ」。農業を通じて、命の大切さとか、社会性とか主体性とか心の豊かさというものを学ぶということです。

 授業はなんとか形に出来たのですが、困ったことは先生です。学校の先生は農業のことはまったく勉強しておりません。「どうしましょう」ということで、校長先生が校区内の農家、農協のOB、普及員のOBに頭を下げて、現在九十人が「農業科支援員」ということで、実際の農業の授業に携わっています。
 私は三回取材に通って、最後にようやく子供たちにインタビューをさせてもらいました。六年、五年、四年の六人の子たちに「将来農業をやるという人は手を挙げて」と言ったら、六人中五人が手を挙げたのです。私は大人が作った教科だし、そんなに話はうまくないだろうなと思っていたのでびっくりしました。「なんで?」と聞いたら、理由の一つは収穫した時の喜びです。もう一つは、習ったことで家の手伝いをしたら、おじいちゃん、おばあちゃんがすごく喜んでくれたことです。今までおじいちゃん、おばあちゃんは、「手伝え」とは言わなかった。でも、農業をやったことで、おじいちゃん、おばあちゃんがこんなに喜んでくれるのだったら農業やっても良いかなと思ったということでした。
 「農業をやる」というのは、「専業農家になる」ということではなく、「自分の生活の中に農業を取り入れたい」ということでしたが、「自分の育てるものがあるということはすごく張り合いがある」とも言うのです。子どもは純粋な気持ちで農業をやっているなということを、改めて知りました。

 ある農業科支援員の方は、毎週一回、三年生から六年生まで教えているそうです。「大変ではないですか」と聞いたら、「自分も子どものころは、よく外で遊んだ。今の子どもたちは外で遊ぶことが少なくなってしまったので、こういうふうに外で活動することに少しでも役に立てばと思って、二つ返事で引き受けた」という答えでした。「報酬は受けておられますか?」という問いには、「学校の先生はお金をくれるから教えているのですか」と、逆に質問されました。本当にボランティアでやっておられるのです。

 教科書もあります。種もみの選び方、種の蒔き方から、脱穀、精米まで、これを見たら私も農業したいなと思うくらいすごく良い教科書でした。感じたことは作文に残しています。涙が出るような作文集でした。学校によっては、授業を土台に、地域の郷土食について学んだり、地元の高齢者に赤飯を届けることで、地域社会の現状、課題についても幅広く学んでいます。これもしっかりと地域の農家や協同組合の人たちが支えているからのことであって、ぜひ続けていただきたいなと思いました。

子どもたちの農業科の教科書と涙の出るような作文集

農業を学ぶのではなく、農業で学ぶ

小学校3年生から6年生の児童がほぼ毎週、農業を学ぶ

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