滋賀の生協 No.145 (2008.9.25
二〇〇八年度国際協同組合デー記念 県内協同組合合同研修会
『世界と日本の食糧事情』
京都大学名誉教授・大妻女子大学教授 中野 一新さん

 「戦後ずっと食料の過剰と不足が並存する状況が続いてきました。ところが近年になって局面が大きく転換し、絶対的に食料が不足するという事態が醸成されつつあります…」アメリカの農業政策やWTO農業交渉など世界の食料事情から、日本の農と食の実態まで、そのからくりを中野先生に語っていただきました。


中野 一新

京都大学名誉教授・大妻女子大学教授


8月1日 滋賀県農業教育情報センター
主催:滋賀県農業協同組合中央会・滋賀県漁業協同組合連合会・滋賀県森林組合連合会・滋賀県生活協同組合連合会


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 本日は「世界と日本の食料事情」というテーマでお話をさせていただきます。

 実はこのレジュメを提出するギリギリまで、WTOの農業交渉が何処に着地するのか目処が立ちませんでした。最終的に決裂ということになりましたので、少し説明を補いながらお話をさせていただきたいと思います。

 最初に、アメリカの農業法のことをお話しておこうと思います。アメリカの農業法は時限立法で、大体五年刻みで改正されます。これまでの法律は二〇〇二年農業法ですから、昨年新しい農業法が成立するはずでしたが、揉めに揉めて結局今年の五月になってようやく新法が制定されました。当初は、WTO農業交渉の落ち着きどころをみすえながら新法の内容が定まるだろうと見られていたのですが、今年の十一月にアメリカの大統領選と上院議員、下院議員の中間選挙も行われるわけですね。ですから農村票を獲得するためには、農民たちにそっぽをむかれる農業法は到底制定できないということで、二〇〇二年農業法とほとんど同じ、あるいはそれ以上に農民を手厚く保護する条項が新法に盛り込まれました。

 新農業法の正式名称は「二〇〇八年食料・保全・エネルギー法」(The Food,Conservation,and Energy Act of 2008)です。

世界の食糧事情の変化
 

 昨今、世界の食料事情は大きく変わってきています。

 これまでは、一九七〇年代の初めを除いて、戦後ずっと「食料の過剰と不足が並存する」状況が続いてきました。先進国では余る。だから日本を含めて大幅な生産調整を実施してきた。ところがアフリカを中心に飢餓の国々が大量に発生している。国連統計でも六十三億の世界人口のうち、八億五千万人が飢餓人口なんですね。とりわけ途上国で、食料が不足しているのに輸入する金が乏しい国々の食糧事情は深刻です。こういう食料の過剰と不足が並存する状況が戦後ずうっと続いてきたわけです。

 ところが近年になって局面が大きく転換し、絶対的に食料が不足するという事態が醸成されつつあります。

 「なぜ不足するようになったのか」という点についてはいろいろ議論があります。例えば、この頃BRICsという言葉がしきりに使われます。Bはブラジ、Rはロシア、Iはインド、Cは中国です。このBRICsを中心に途上国の経済が急速に成長してきて、国民の経済的基盤が高まってきた。それによって国民の食料需要を大幅に高めてくる。あるいは質を変えてくる。

 典型的なのは中国です。かつての中国は大豆の世界的な輸出国でしたが、この国がいまでは大量の大豆を輸入しているわけです。国民の購買力が乏しい段階では、中国の多くの人たちが料理に使う油は動物油脂、ラードでした。ところが最近はどんどん植物油、とりわけ大豆油に変わってきている。大豆油で調理をした方がおいしいわけです。

 またフィリピンでは、ホワイトコーンと呼ばれる食料用のトウモロコシを全国各地で生産していました。ところが、加工型の畜産業、特に養鶏業が盛んになってくると、ホワイトコーンの替りにイエローコーン、つまり餌用のトウモロコシを作るようになってきた。その結果、今度は食料が不足し、飢餓が発生する。こういう事態になってきた。

 同じことは、コーヒーの地帯、紅茶の地帯、あるいはココアの地帯でも、商品作物、換金作物に集中することによって、食料生産が手抜きになり、絶対的な食料危機を招くということになってきているわけです。

 そのためにこの春から世界各地で食料暴動が発生しています。飢餓に苦しむ住民たちが掲げているスローガンは「食料不足」、それから「食料価格の高騰」に対する抗議です。

 こうした新たな事態に直面して、これまでは穀物が余って「何とか売りさばかなくてはならない」というところに力点があった食料輸出大国が、自国の国民の胃袋を満たすためには、「際限なく輸出するのは危うい」ということで、相次いで穀物の輸出規制を強行するという局面に、推移しつつあります。

 どれくらい穀物価格が上がっているのでしょうか。米をとりあげてみますと、二〇〇一年当時には、トン当たり百九十二ドルだったものが、今年の二月で四百七十四ドル。現在五百ドル前後です。二倍以上に価格が跳ね上がってきている。餌も同じようなことが言えます。

 ご存知のように、七月初めに北海道の洞爺湖でサミットが開催されました。今回のサミットでは主としては地球の温暖化問題を議論する予定だったのですが、急遽食料問題も議題に加えられ、「食料に関する首脳声明」が出されました。事態はここまで深刻化しているのです。

 それからもう一つ非常に大きな問題は、穀物価格の異常な高騰が、アメリカの農業、とりわけアメリカの穀倉地帯で史上空前の活況を呈しているということです。全農家の収益総額は、二〇〇六年の五百九十億ドルから、去年で八百八十七億ドル。今年はおそらく千億ドルを超えるだろうと言われています。農産物の輸出額も、価格が跳ね上がったということもあって、今年は千億ドルの大台に乗ると見込まれています。

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