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安心して住める「福島」を取り戻すために(2)

滋賀の生協 No.161(2012.12.25)
滋賀県生協連役職員研修
安心して住める「福島」を取り戻すために
~つながろうCOOPアクション・福島原発事故から見えてきたもの~

2012年9月15日 コープしが生協会館生文ホール

講師 熊谷 純一氏(福島県生活協同組合連合会会長理事)

   隠された米軍情報

 昨年三月、米エネルギー省が航空機で放射線量をモニタリングしています。南相馬や葛尾などは、非常に高い放射線量を計測しています。これがわかっていれば避難方向が変わっていたのですが、これも公表されていませんでした。

 チェルノブイリではどうだったのか。やはり教えられなかったのです。一九八六年四月二六日の午前一時過ぎに事故が起きます。その五日後、キエフではメーデーを普通に祝っているのです。原発から一五〇キロのペトカは、今は人が住めない高濃度の汚染地帯ですけど、ここが危ないところだと知らされたのは二年後です。新聞は、四月二九日になって「チェルノブイリで火災があった」ことのみ発表しました。

   「放射能は怖くない」キャンペーン

 甲状腺癌の世界的権威の福島県立医科大学の副学長は、県内各自治体をまわって「明るく朗らかな人には放射能は来ない」「百mSv(ミリシーベルト)以下なら心配ない」と講演をしました。聴衆が「本当ですか」「あんた責任とれるの」と質問すると「いや、私はその時この世にいませんから、責任などとれるはずないでしょう」と言ったのですね。

 「パニックを恐れたのだろう」ということで、同情している方々もいますけど、これはむしろ不信感を増しましたね。

   言い様のない深い不安と怒り

 「私は福島県民というだけで、結婚できないかもしれません。子供も産めないかもしれません。私の人生を、ふるさとを、返してください」女子高校生の訴えです。

 「ここにいて良いのか」という不安が、特に母親を中心としていつもあります。それから「癌だけではなく、何らかの影響が体に出るのではないか」「子どもとか孫は大丈夫なのか」「子どもには何を食べさせたらいいのか」…

 「子ども保養プロジェクト」で夕ごはんを食べます。その時必ず聞こえるのが、「ママこれ食べていいの?」という幼児の声です。つまり日常的に「これ食べてはだめ」「これ食べていいよ」と言い含められているのです。これは普通の暮らしではないと思います。

   福島県民の想い

 最近の県民対象のアンケートでは、「出来れば避難したい」が三三.七%。「以前はそう思ったが、今は思っていない」が、三〇.八%。「思ったことはない」が三五.五%です。

 「福島県は日本の中で孤立している」は五二.三%。「福島の子どもたちの将来が不安だ」が八九.一%。それから「原発事故による風評被害は深刻だ」が、九一.一%です。「自分には安心して何でも話せる相手がいない」と思っている人が、一五.一%います。

   問題解決を困難にしたもの

 情報隠しによる悲劇や、一部の学者・メディアによる無責任、あるいは故意の誤魔化しによって、私たちは深い不信感の中にあり、問題解決を困難にしています。

 また、原発事故の「情報」が正しく、早く、住民に伝えられませんでした。国、県にも公的な情報網がなく、被災地に届きませんでした。自治体首長がテレビで報道されてから対策を打つという状況でした。

 それから、「テレビ、新聞等の情報は誰のものか」という問題です。マスコミの偏向を許さないことが、自分の命を守るために大事だと実感しています。

 外国の放送では危機的な状況を流していましたが、これらの情報は遮断され、CNNも見られませんでした。

 WEBでいくらか情報は入ったのですが、これもすぐに削除されていきました。

   市民目線の避難計画

 国の対策は後手にまわり、情報開示も遅く、難しくなると自治体に丸投げする。県民は何度も危険に会い、何度も避難させられました。対象自治体は国と東京電力に翻弄され続けるのですね。東京電力はほとんど情報を出しませんでした。

 もう誰を信用したらいいかわからなくなって、「もう自分たちでやるしかない」と、いうところに追い込まれたわけです。

 避難計画には市民目線、特に弱者の救済計画を、市民参加型で作ることが必要です。

   現在設定された避難区域

 現在、(1)帰還困難区域(年間被ばく放射線量が在五〇mSV超。五年経過しても二〇mSvを年間で放射線量が下回らない)(2)居住制限区域(二〇mSv超五〇mSv以下)(3)避難指示解除準備区域(二〇mSv以下)という区分で避難区域が設定されています。

 現在「(3)避難指示解除準備区域」の、除染・インフラ整備をやっています。法律では、一mSvにならないと帰れません。でも、今緊急時なので「二〇mSvで帰還しても良いよ」と言っています。浪江町は「(3)避難指示解除準備区域」への帰還を認めるようですし、飯館村も帰還を進めるとしています。しかし、不安は高まっていて帰れる状況にはありません。

   福島第一原発の現状

 一号機は燃料棒が溶けて、圧力容器に穴が開き、格納容器に落ちているかもしれないと言われています。

 二号機も同じ状況です。二号機は圧力制御室が損傷しなければ全体が爆発してチェルノブイリの事故のように、非常に深刻な状況になったはずです。

 三号機も、圧力容器のどこかに穴が開いているはずです。

 現在、毎時六.八立方メートルの水を圧力容器に入れて冷やしています。

 溶け落ちた燃料は、いろいろなものと混ざり合って塊になり、既に超放射能汚染物質になっています。

 一号機の冷却には毎時六トン前後を注水して冷却していますが、原子力安全基盤機構が調べたところ、格納容器内の水位は四〇センチ程度しか溜まっていません。事故以来注水し続けている大量の放射能汚染水はどこへ行ったのか?格納容器の中は燃料棒が解け内部は約七千℃になっています。

 二号機の水位は六〇センチぐらいと言われています。いずれにしても非常に少ない。危険な状態であるということです。

 四号機は止まっている原子炉が爆発しました。外気にさらされた使用済み核燃料プールには、千五百三十三本の燃料棒があります。

   溜まり続ける使用済み燃料

 使用済み核燃料は、平均七〇~七二本の核燃料棒を一つの燃料集合体に束ね、冷却用プールなどに保管されています。

 集合体数は全国で約五万九千体、一万三千五百三十トン。貯蔵庫はもう五、六年しか余裕がありません。いずれ満杯になったらどこに置くのかという問題が出てきます。

 使用済み核燃料が完全に無害になるまでに、十万年単位での安全が保障されなければなりません。「最終貯蔵(terminal storage)」は今研究中だそうです。

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