滋賀の生協 No.152(2010.7.28) |
2010年NPT再検討会議参加報告集会 NPT再検討会議の成果と課題(1) 5月29日(土)草津まちづくりセンター |
関西学院大学法学部教授 原水爆禁止世界大会起草委員長 講師 冨田 宏治さん |
最終文書の採択 |
今日未明、どうやら無事「最終文書」は全会一致で採択されたようです。(拍手) 途中で、ものすごく良い最終文書案が出ていましたので期待をしましたけれども、もちろんあのままというわけにはいきませんでした。非常に重要な部分では妥協が行われて、例えば「二〇一一年までに」とか「二〇一四年までに」というふうに、期限を切ったところは全部削られてしまっていますけれども、少なくとも「明確な約束」の再確認ということはおこなわれておりますし、十三項目だった「具体的行動」が六十四項目まで増えているわけですね。 さらに、「核兵器禁止条約」とか、「行程表」の問題についても、「多くの国がそれを必要だと認めている」という微妙な表現になっているようですけれども、盛り込まれているようです。 全体としては、私たちが想像していたよりもはるかに前進したところでせめぎ合いが行われていました。まさか期限をめぐって議論になるとは思っていなかった。そこがもし書かれていたら完全勝利です。期限は削られてしまいましたけれども、でも「十分な成果が得られた」そういう「NPT再検討会議」になったのではないかと思います。 それもひとえに、多くの日本の国民の代表が、あるいは世界からの代表が集まって「NPT再検討会議」を支えた。その賜であろうと思っています。 |
簡単な自己紹介から |
私は名古屋大学で勉強を始めて、そこで沢田昭二先生に出会いました。沢田先生は被爆者で、物理学者。物理学者としてノーベル賞をとった益川先生の先生にあたる方です。「はだしのゲン」と全く同じような、お母さんを目の前で亡くされるという被爆体験をされた方で、同時に日本原水協代表理事として、今回もニューヨークへ行かれていました。この沢田先生と出会ったことがきっかけで、以後三十数年間、八月六日、九日には、広島・長崎に身を置いてきました。八九年に関西学院へやってきましたけれども、それ以来、安齋育郎先生を助ける形で「原水爆禁止世界大会」の起草作業に参加をして、二〇〇六年から起草委員長に就任をしております。 起草委員長というのはなかなか大変な仕事でして、徹夜、徹夜の毎日なのですけれども、去年も、八月六日になんとか起草委員長報告を書いて、さあ、「これで会議に報告しなくちゃ」と思って、お風呂に入ったらぶっ倒れて胸を強打しまして、その午後に本会議に行って、開会総会で基調報告をしていたというようなことをやっています。 |
被爆者の崇高な決意と悲願 |
それでも、そんなことで弱音を吐けないのは、「被爆者の崇高な決意と悲願」というものを受け止めてしまったからだと思っています。沢田先生と出会い、それ以降三〇年、多くの被爆者のみなさんとの出会いと別れがあって、その願いを受け止めて、引き継いでいかなければならないというふうに決意をしてまいりました。 今回の「NPT再検討会議」でも、谷口稜曄(すみてる)さんが、自らの写真を掲げながら「核兵器がなくなるまでは死ぬに死ねない」と訴えられました。まさにクライマックスだったと思いますけれども、その被爆者の「核兵器をなくせ」という、この「崇高な願い」「悲願」「決意」。それが原点だということです。 被爆者の方はものすごい、すさまじい経験をされた。 例えば、「一〇フィート映画」。被爆直後の映画を、アメリカの公文書館から買い取って記録映画にする運動をしましたが、その映画を見ていたら、被爆者の方が隣でポツッと「こんなもんじゃなかった」とおっしゃるのです。こっちは胸が張り裂けるような思いで見ていたのに「こんなもんじゃなかった」と言われて頭をガツンと殴られた思いがしました。 だけど本当に「こんなもんじゃなかった」。あの映画からは、熱も臭いも、何とも言えない皮膚感覚も伝わってこない。八月の真夏の広島、焼け野原の中で一体どんな臭いが漂い、どんな灼熱の日差しが照っていたか。あのフィルムを見ても何も分からないですね。しかも、あのフィルムに残されているのは二週間後からの記録で、「原爆展」などで使われる写真も、多くが十日目ぐらいですね。谷口さんが国連の本部で掲げた、「背中のずるむけの写真」も半年後の写真なのです。 ですから、「その直後」なんて何も僕らは分からない。僕らが写真を見たり、フィルムを見たりして、胸がつぶれるような思いをする、あれでも全く真実に迫っていないのだということです。 それほどの経験をされている被爆者の方が、今でも原爆症の認定のために裁判を六年も七年も戦い抜かねばならない。そういう苦しみを背負っている方が、「報復」ということを言わないということですね。その「崇高さ」なのです。 これと対照的なのがブッシュです。「九・一一テロ」で、バーンと飛行機が当たった瞬間に「報復だ」と叫んだ品位のなさ。まさに被爆者の「崇高さ」が、我々を突き動かしているのだと思います。 |
「被爆者とともに!」という原点 |
私たちは、「再検討会議」以降の課題でも問題になるのですが、「抑止力論」を打ち破っていかなければならない。「抑止力」という考え方は、「報復をするぞ」という脅迫なのです。「もしうちに攻撃を仕掛けたらその十倍の報復をするぞ」「やれるものならやってみろ」というのが「核抑止力論」です。 「普天間の問題」でも、最後鳩山さん足元に絡みついてしまったのは、「抑止力」という言葉だったですね。「よくよく勉強したら、海兵隊は抑止力として大事だと分かりました」...。僕らは「それを乗り越えよう」と言っているのに、「今頃なにそんなことわかったのか...」と思いましたけれども、いずれにしても、そこに「抑止力」という言葉が出てきます。 この「抑止力」という考え方を打ち破らない限り「核兵器」はなくなりません。米軍基地もなくなりません。 でもそれを乗り越えているのは被爆者なのです。被爆者の方々は「報復」を言わない。このすごさというのを改めて確認をしたいし、それが私たちの原点であるということを、再確認したいと思います。「被爆者とともに」という原点を、私たちはどこまでも大事にしていきたいというふうに思っている次第です。 |
オバマ大統領プラハでの演説「核兵器のない世界」への構想 |
そういう被爆者の願いに一条の光を差し込んだのが、オバマ大統領の二〇〇九年四月の「プラハ演説」です。このオバマの演説は、二〇一〇年五月のNPT再検討会議」に照準を当てた発言で、一カ月後に、「再検討会議」の議題を決める「再検討会議準備会合」が行われることになっていたので、それを目指して、この時に発言をしています。※(1) ですから、このオバマ発言から、「再検討会議」に向けて汽車が走りだした。暗闇の中にオバマの差し込んだ一条の光に手をザクッと差し込んで、全力でそこをこじ開けるのは僕らの仕事になったわけです。まさに世界が、このチャンスに懸けようと全力を尽くしてきたということです。
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オバマ大統領カイロ大学での演説(二〇〇九年六月) |
オバマが「NPT再検討会議」を念頭に置いていたことを示す、もう一つの発言があります。こちらの方がずっと踏み込んだ発言で、とても大事なことを言っています。※(2) つまり、NPTというのは「核兵器を持つ国と持たない国があるという不平等条約だった」ということです。この「不平等性」をアメリカの大統領が認めた発言なのです。 一九〇の国が加盟しているNPT(不拡散条約)の中で、五つの国だけが核兵器を持って良い。残りの一八五カ国は持ってはいけない。こんな理不尽な、不平等な条約はないわけです。 それをオバマは、「だからこそ、私は核保有国のない世界を追求したいのだ」。つまり、「五つの国が特権を持って核兵器を保有しているという状態をなくしたいのだ」と言っているのです。 不平等を無くす方向は二つ。「全部が核兵器を持って良い」という方向と、「核兵器を持っている国をなくす」という方向です。オバマは、そのうちの「核兵器を持って良いという国をなくしたいのだ」と言っています。これは相当踏み込んだ発言です。NPTという条約と、その再検討会議という場を「使っていきたい」という意志表明だったのですね。
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オバマ大統領のプラハ演説をうけて |
オバマ演説を受けていろいろな動きが一斉に始まっていきました。※(3) 米露の軍縮交渉が行われ、アメリカの核戦略の見直しが行われ、そしてEU等が反応するという形で進んで行きました。
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国連安保理サミット決議 |
それから国連安保理サミット。唯一法的な拘束力を持った決議を挙げることができる、安全保障理事会の五つの常任理事国が、NPTが「核兵器を持って良い」と認めている核兵器国とイコールなのです。その五つの常任理事国の首脳を集めて、オバマ大統領自らが議長になって安保理決議を挙げました。 「核兵器のない世界のための条件を創る」。そのために「核軍備削減と核軍縮に関する実効的措置をとる」。それを「誠実に追求する」。こういうことを決議させて準備も整えました。 |
「核態勢の見直し(NPR)」更新を発表(二〇一〇.四) |
アメリカ自身は「核戦略の見直す」ということで、核兵器のない世界を求める大統領と、これまでの核戦略にしがみつく国防総省とがすごいせめぎ合いをやります。その時に、国防総省の側について足を引っ張った主要な同盟国政府がありました。日の丸を掲げた同盟国です。でも、「核兵器の役割を縮小させる」「NPTを遵守する国には核兵器を使わない」「新たな核弾頭の開発をしない」という宣言をしました。 もちろん限界はあります。「核兵器の先制不使用」宣言はさすがにしませんでしたし、「縮小したレベルでも核抑止力を維持する」とも言っています。アメリカも結局「核抑止力」という言葉を残しているわけです。 |
米露、新たな核軍縮条約に調印(二〇一〇.四) |
「NPT再検討会議」を前にして、ロシアとアメリカが「戦略核兵器の削減交渉」に合意しました。議会の批准手続きが残っていますが、一五五〇発ずつ、あわせて三〇〇〇発強に減らすところまできました。 一時、五万発ありました。それが今二万三千発。これがさらに減ることになります。もちろんこれは戦略核だけですので、あわせてまだ一万発ぐらい残るかもしれませんが、米露がそこまで「減らす約束」をしたことは大きな前進です。 |
核安保サミット(二〇一〇.四) |
もう一つ。これも「再検討会議」の直前に、「核保安サミット」が行われ「米露両国が軍事用プルトニウム六八トンを処分する」ことを決めました。六八トンというのは核兵器一万七千発分ということになります。 ただその処分の仕方が問題で、「ウラン用に開発された原子炉でプルトニウムを燃やす」というのです。これは「プルサーマル」と言ってすごく危険なのですね。 いずれにしてもこのような経過で、二〇一〇年の「再検討会議」は、オバマが一条の光を差し込んで、彼らは彼らなりの準備をし、いろいろ布石も打たれ、「絶好のチャンス」として迎えられました。 しかし、そこに手を差し込んで扉を全開にするのは我々の役割だったわけです。「世界諸国民がどれだけ核兵器廃絶への決意を迫るのか」ということが問われる会議だったということになります。 |
NPT(核不拡散条約)とは? |
「核不拡散条約」への加盟国は、一九〇カ国。加盟していないのは、インド、パキスタン、イスラエルの三カ国だけですが、それ以外は世界中の国が入っています。 その内、五カ国は核兵器を持っています。残りの一八五カ国は持ってはいけないという不平等条約です。※(4)
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二〇〇〇年NPT再検討会議の「明確な約束」 |
一九九五年、この不平等な条約を「無期限延長する」というので、僕らは猛反対をしました。その結果、核保有国は「延長させてください。その代り第六条に書かれている、核軍縮をする義務を実行します」という約束をした。 「じゃあ、五年に一度の再検討会議で、本気でやっているかどうかチェックするぞ」という話になって、それ以降、二〇〇〇年からの「再検討会議」は、特別の意味を持つ会議になったのです。 その延長後一回目の「再検討会議」で、「明確な約束」というのが合意されました。※(5) 「第六条のもとで、契約国が責任を負う核軍縮につながる、自国の核兵器の完全廃絶を達成するというという全核保有国の明確な約束」疑う余地のない約束であったわけです。
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新アジェンダ連合諸国、非同盟諸国の政府とともに |
問題は、この約束を踏まえて、どう具体的な行動をとらせるかということです。 その中で活躍をしているのは、「新アジェンダ連合」と「非同盟諸国」という「非核の政府」です。日本は被爆国でありながら「非核の政府」になっていないのですが、世界には「非核の政府」がたくさんあります。特に「新アジェンダ連合」という七つの国(スウェーデン、アイルランド、ブラジル、メキシコ、ニュージーランド、エジプト、南アフリカ)は、「NPT再検討会議」のために結成された「非核の政府」の連合です。「再検討会議を成功させること」「核兵器廃絶を実現すること」を目標にした国家の集まりです。それと「非同盟諸国」の一一八カ国。この二つが我々の仲間です。 この二つの国家連合の代表たちは毎年「原水爆禁止世界大会」にやってきます。彼らは「原水爆禁止世界大会」に結集している日本の運動、世界の運動、そして日本の被爆者と「一緒にやっていきたい」と思っています。その中で、去年、一昨年と、国連の代表もやってきた。政府の代表や国連の代表が正式に参加をして「原水爆禁止世界大会」を開くということになってきたのも、「新アジェンダ連合」と「非同盟諸国」の活躍のおかげだったわけです。 |
いまこそ核兵器全面禁止条約へ協議の開始を! |
問題は「とにかく核兵器廃絶をするのだ」と決断をすることです。部分的な措置の積み重ねだけでは核兵器はなくなりません。「核兵器を廃絶するぞ」という決意をどこまで明確に打ち出すかなのです。それを決めてしまえば、後はなくなる方向へしかいかない。とにかくまず政治的な決断を明確にさせること。そのためには、「明確な約束」を再確認すること。それを実行するための法的枠組みを設定すること。その決意を表明すること。これが最大のポイントだったわけです。 具体的には「核兵器全面禁止条約への協議を開始する」という決断をさせる事でしたが、残念ながら「最終文書」に入りませんでした。ただ、「多くの政府がこれを要求した」ということは書かれたようです。 |
NPT再検討会議カバクチュラン議長の決意(四・二九) |
「NPT再検討会議」では、カバクチュランという議長が最後まで活躍をしてくれました。フィリピンの国連大使です。彼は四月二九日、「再検討会議」の直前に、「明確な約束を再確認するだけではなくて、核兵器廃絶という最終目標にどう結びつけるのかが問われている」という非常に心強い記者会見をしておりました。 |
非核地帯条約締結国会議での潘(パン)国連事務総長の演説(四・三〇) |
潘基文(パン・ギムン)事務総長が、「再検討会議」の直前に開かれた「非核地帯条約の締結国会議」で発言をしました。 「一部の国は核兵器が自国の安全保障にとって死活的に重要で、抑止力に不可欠だとみなしているけれども、この会議にいる我々は、そうではないことを知っている」。 つまり、「核兵器は抑止力ではない」ことを、国連事務総長が認めたのです。「非核地帯条約締結国」もみんな「核抑止」を否定している。そして「私もそうだ」と明確に言っているのです。 |
リバーサイド教会でのNGOによる国際平和会議(四・三〇~) |
リバーサイド教会で「NGOによる国際平和会議」が行われて、世界のNGOが集まりました。リバ―サイド教会というのは、キング牧師がベトナム反戦の演説をしたことで有名な教会ですけれども、そこに、「二〇二〇年までの核兵器廃絶条約の交渉を早く開始するように呼び掛ける声明」を採択しました。 |