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二〇一三年度憲法問題学習会(2)

滋賀の生協 No.164(2013.12.20)
二〇一三年度憲法問題学習会
憲法は何のためにあるのか
~九六条問題と平和・人権~

2013年10月12日(土) コープしが生協会館生活文化ホール

講師 土井 裕明氏
(弁護士、滋賀弁護士九条の会代表、NPO法人消費者ネット・しが理事長)

   憲法尊重擁護義務

 「国家権力を握っている人って誰?」というと、昔は王様だったでしょうけど、今は公務員です。内閣総理大臣をはじめとして、行政に携わる人全部ですし、裁判所に努めている人は皆公務員です。国会議員も公務員です。そういう公務員が憲法を守らなければいけない。

  私は弁護士になる前に大阪で国家公務員をやっていたのですけど、公務員に採用されたら、四月一日に入社式みたいなものがあって、そこで「私たちは憲法を守って国民のために仕事をします」という「宣誓」をさせられるのです。公務員は全員そうだと思います。
 
  それはそうですよね。権力は憲法に縛られているわけですから、憲法に書かれている通りにしか仕事をしません。憲法違反のことはしません。それから憲法を変えてしまうようなことはしません。私たちは憲法の言いなりになって仕事をします。これが公務員の本来の立場です。

  それを「憲法尊重擁護義務」と言います。憲法九九条に「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という条文があります。
  たとえ公務員が自分たちのやりたいようにやりたくても、憲法に縛られてしかやれない。権力を持っている人たちにとってみれば、憲法って邪魔なのですよね。そういう宿命にあるわけです。

  その邪魔な憲法を「壊してしまえ」とか、「変えてしまえ」とか「こんな憲法は守らなくても良い」ということをやったら、憲法が権力を縛ることができなくなります。だから、権力を持っている人たちは憲法を攻撃してはいけないというのが、この九九条なのですね。

   自民党改正草案の憲法尊重擁護義務規定

 自民党の改正草案では、現行の九九条の条文に相当する第二項の前に、「すべて国民は、この憲法を尊重しなければならない」という一項を加えています。

  しかし、憲法を尊重して擁護しなければならないのは、公務員であって、国民ではないのです。国家権力を縛るための憲法を、縛られる立場の公務員は尊重し擁護しなければなりませんが、国民にそんな義務を課すのはおかしいですね。もちろん憲法を大事にするのは結構ですけど、憲法の中で要求する話ではないわけです。それは憲法の役割ではないですね。

  自民党の改正草案では、「憲法制定権者たる(憲法を作る立場の)国民も憲法を尊重すべきことは当然である」と言っていますけど、これは憲法が何のためにあるかということを全然理解していない議論なのですね。

   憲法尊重擁護義務違反の発言

 安倍さんは、二〇〇七年にも一回総理大臣をやりました。その第一次安倍内閣の時の一月四日の年頭記者会見で、安倍総理は「今年は憲法が施行されて六〇年であります。憲法を、是非私の内閣として改正を目指していきたいということは、当然参議院の選挙においても訴えてまいりたいと考えております」と言ったのです。

  「憲法は権力を縛るためにあり、公務員は憲法を尊重擁護しなければいけない」という大原則が憲法九九条に書かれているにもかかわらず、総理大臣が「憲法を変える」しかも「内閣として変える」ということは、明らかに憲法違反の発言です。

  国会議員だけは改正発議のための議論をしなければいけませんから、憲法改正の発議が必要な限度において、憲法尊重擁護義務が緩和されています。しかし国務大臣はだめです。一番憲法を大切にしなければいけない人が「我々はこんな憲法は邪魔だ」と明言している。大胆不敵な発言なのですよね。

  しかしこの時、ほとんどの新聞は「これは問題だ」ということを言いませんでした。過去には自民党の国務大臣が「憲法を変えるべきだ」という本音を、ポロッと発言をするたびに、新聞から「それは憲法尊重擁護義務違反の発言ではないか」と言われたものです。だんだんマスコミのレベルも低下してきて、こういうことが非常に問題な発言なのだということを指摘するメディアがなくなってきているのではないかと思います。

   憲法改正の手順

 九六条の条文、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」「二 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する」。こういう条文になっています。

  国民が衆議院と参議院の議員を選挙で選びます。そして選ばれた、衆議院と参議院のそれぞれの国会議員が、それぞれの議院で過半数の賛成を採るというのが、普通の法律の制定・改正の手順ですね。ただ所謂「ねじれ国会」という状態の時は、衆議院の三分の二の賛成があれば、参議院が反対しても法律はできるわけです。

  でも、憲法改正は両議院とも三分の二の賛成を採らないと発議できないです。そして、改正案を発議しますと、その発議された改正案に、国民が賛成か反対かの国民投票をします。そしてこの国民投票で過半数の賛成を採れば憲法を改正できる。普通の法律に比べてなかなか簡単にはいかないわけです。

   硬性憲法

 普通の法律よりも憲法の方が改正しにくい。これを「硬性憲法」と言います。
  憲法を持たない国というのはたぶんないですが、「成文憲法」、つまり「憲法」という名前の法典を持たない国というのはイギリスがそうですね。イギリスは「憲法」という名前のルールはありません。ありませんけど、何百年にも亘って「これは絶対守らなければいけない」と考えられているルールがいくつかあって、そのルールが事実上憲法として機能しているというものです。

  社会主義の国はともかくとして、イギリス以外、成文憲法を持っている国は、たぶん「硬性憲法」、つまり普通の法律よりも変更しにくい憲法を持っています。
  それはなぜかというと、その時々の社会情勢で、その時々の多数派を偶々取ったというだけの政治勢力が、その勢いで憲法をどんどん変えられるようになったら、憲法の意味がないからです。

憲法は権力の暴走を止めるためにあるのだから、縛られる立場の国会議員が、簡単に憲法を変えられたら、全然縛っている意味がないですからね。だから、その縛りを強くするために、その時々の政治勢力が、どっちが多数派を採ったというだけで憲法をころころ変えられないように、わざわざしているわけですね。敢えて改正しにくくして、改正に慎重さを求めているわけです。

  日本は両院で三分の二ずつの賛成を採らないと発議ができないという縛りになっていて、国民投票も過半数採らなければいけないというふうにハードルを高くしています。

  世界にはいろいろなハードルの設定の仕方がありまして、国によっては国会だけで憲法を変えられる国もあります。しかしその場合も、まず一回改正案を可決して、それからもう一度国会で多数の賛成があれば変えられる。つまり間に必ず時間をおいて、「本当にこの改正で良いかどうか」を国民が考える。そしてもう一回選挙をやって、新しい構成になった国会議員が「やっぱり、改正しよう」と決めて初めて変えられる。そういうハードル設定をしている国もあります。

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