活動のご案内

食の安全・安心

『世界と日本の食糧事情』  中野 一新さん

滋賀の生協 No.145(2008.9.25)
二〇〇八年度国際協同組合デー記念 県内協同組合合同研修会
『世界と日本の食糧事情』
京都大学名誉教授・大妻女子大学教授 中野 一新さん
 「戦後ずっと食料の過剰と不足が並存する状況が続いてきました。ところが近年になって局面が大きく転換し、絶対的に食料が不足するという事態が醸成されつつあります…」アメリカの農業政策やWTO農業交渉など世界の食料事情から、日本の農と食の実態まで、そのからくりを中野先生に語っていただきました。

8月1日 滋賀県農業教育情報センター
<主催>滋賀県農業協同組合中央会/滋賀県漁業協同組合連合会/滋賀県森林組合連合会/滋賀県生活協同組合連合会

中野 一新
京都大学名誉教授
大妻女子大学教授

 本日は「世界と日本の食料事情」というテーマでお話をさせていただきます。

 実はこのレジュメを提出するギリギリまで、WTOの農業交渉が何処に着地するのか目処が立ちませんでした。最終的に決裂ということになりましたので、少し説明を補いながらお話をさせていただきたいと思います。

 最初に、アメリカの農業法のことをお話しておこうと思います。アメリカの農業法は時限立法で、大体五年刻みで改正されます。これまでの法律は二〇〇二年農業法ですから、昨年新しい農業法が成立するはずでしたが、揉めに揉めて結局今年の五月になってようやく新法が制定されました。当初は、WTO農業交渉の落ち着きどころをみすえながら新法の内容が定まるだろうと見られていたのですが、今年の十一月にアメリカの大統領選と上院議員、下院議員の中間選挙も行われるわけですね。ですから農村票を獲得するためには、農民たちにそっぽをむかれる農業法は到底制定できないということで、二〇〇二年農業法とほとんど同じ、あるいはそれ以上に農民を手厚く保護する条項が新法に盛り込まれました。

 新農業法の正式名称は「二〇〇八年食料・保全・エネルギー法」(The Food,Conservation,and Energy Act of 2008)です。

世界の食糧事情の変化
昨今、世界の食料事情は大きく変わってきています。  これまでは、一九七〇年代の初めを除いて、戦後ずっと「食料の過剰と不足が並存する」状況が続いてきました。先進国では余る。だから日本を含めて大幅な生産調整を実施してきた。ところがアフリカを中心に飢餓の国々が大量に発生している。国連統計でも六十三億の世界人口のうち、八億五千万人が飢餓人口なんですね。とりわけ途上国で、食料が不足しているのに輸入する金が乏しい国々の食糧事情は深刻です。こういう食料の過剰と不足が並存する状況が戦後ずうっと続いてきたわけです。

 ところが近年になって局面が大きく転換し、絶対的に食料が不足するという事態が醸成されつつあります。

 「なぜ不足するようになったのか」という点についてはいろいろ議論があります。例えば、この頃BRICsという言葉がしきりに使われます。Bはブラジ、Rはロシア、Iはインド、Cは中国です。このBRICsを中心に途上国の経済が急速に成長してきて、国民の経済的基盤が高まってきた。それによって国民の食料需要を大幅に高めてくる。あるいは質を変えてくる。

 典型的なのは中国です。かつての中国は大豆の世界的な輸出国でしたが、この国がいまでは大量の大豆を輸入しているわけです。国民の購買力が乏しい段階では、中国の多くの人たちが料理に使う油は動物油脂、ラードでした。ところが最近はどんどん植物油、とりわけ大豆油に変わってきている。大豆油で調理をした方がおいしいわけです。

 またフィリピンでは、ホワイトコーンと呼ばれる食料用のトウモロコシを全国各地で生産していました。ところが、加工型の畜産業、特に養鶏業が盛んになってくると、ホワイトコーンの替りにイエローコーン、つまり餌用のトウモロコシを作るようになってきた。その結果、今度は食料が不足し、飢餓が発生する。こういう事態になってきた。

 同じことは、コーヒーの地帯、紅茶の地帯、あるいはココアの地帯でも、商品作物、換金作物に集中することによって、食料生産が手抜きになり、絶対的な食料危機を招くということになってきているわけです。

 そのためにこの春から世界各地で食料暴動が発生しています。飢餓に苦しむ住民たちが掲げているスローガンは「食料不足」、それから「食料価格の高騰」に対する抗議です。

 こうした新たな事態に直面して、これまでは穀物が余って「何とか売りさばかなくてはならない」というところに力点があった食料輸出大国が、自国の国民の胃袋を満たすためには、「際限なく輸出するのは危うい」ということで、相次いで穀物の輸出規制を強行するという局面に、推移しつつあります。

 どれくらい穀物価格が上がっているのでしょうか。米をとりあげてみますと、二〇〇一年当時には、トン当たり百九十二ドルだったものが、今年の二月で四百七十四ドル。現在五百ドル前後です。二倍以上に価格が跳ね上がってきている。餌も同じようなことが言えます。

 ご存知のように、七月初めに北海道の洞爺湖でサミットが開催されました。今回のサミットでは主としては地球の温暖化問題を議論する予定だったのですが、急遽食料問題も議題に加えられ、「食料に関する首脳声明」が出されました。事態はここまで深刻化しているのです。

 それからもう一つ非常に大きな問題は、穀物価格の異常な高騰が、アメリカの農業、とりわけアメリカの穀倉地帯で史上空前の活況を呈しているということです。全農家の収益総額は、二〇〇六年の五百九十億ドルから、去年で八百八十七億ドル。今年はおそらく千億ドルを超えるだろうと言われています。農産物の輸出額も、価格が跳ね上がったということもあって、今年は千億ドルの大台に乗ると見込まれています。

アメリカの補助金制度
その結果、今WTO農業交渉ではアメリカの「輸出補助金」や「国内補助金」が大きな問題になっています。

 「輸出補助金」は農家に補助金が支払われると思われるかもしれませんが、そうではありません。穀物の輸出業者に対して、つまりカーギルやコナグラやADMなどの輸出業者に払われるのです。

 例えば米などはその典型です。アメリカ産米の国内価格は国際価格よりずっと割高です。そうすると、高いアメリカ産の米を購入して、安い値段で海外に売るわけですから、輸出業者は当然損をする。そこで、国内価格と国際価格の差額を「輸出補助金」という形で穴埋めするわけです。ですから「輸出補助金」の大半は穀物メジャーに行っている。もっと言えば海外市場を確保するために「ダンピング輸出」を政府は奨励しているわけです。これはEUも同じです。ですから、「輸出補助金」によって「ダンピング輸出」をする経済的余力のあるEU及びアメリカと、そういう経済的ゆとりのない穀物輸出国(ケアンズグループ)という図式ができています。

 「ケアンズグループ」とは、米で言えばタイ、ベトナム、小麦であればオーストラリア、カナダ、アルゼンチンといった主要食料輸出大国と呼ばれる国をさします。こういう国々の第一回の会合がオーストラリアのケアンズで開かれたので「ケアンズグループ」と呼んでいます。

 この「ケアンズグループ」が、アメリカとEUの「輸出補助金」に対して、同じ輸出国同士なのに強く批判をしている。

 「国内補助金」についても、アメリカほど経済的ゆとりのない全ての国が批判をしている。もちろん輸入国も批判をする。こういう構図ができているわけです。

 アメリカでは農業法で設定した「目標価格」と「市場価格」との差額を、政府が補填するわけですが、現在は「市場価格」が「目標価格」をはるかに上回っている。

 トウモロコシの場合、「目標価格」は一ブラシェル(二十五キロ)当たり二・六三ドル、「市場価格」は現在でも六ドルを超えており、事実上国内補助金を支出する必要がないわけです。

 アメリカの直接支払額は、二〇〇五年の二百四十四億ドルをピークにしてどんどん減ってきて、去年は百二十億ドルにまで縮減している。「農業補助金」も「輸出補助金」も、市場価格がうんと跳ね上がっていますから、今年は限りなくゼロに近いわけです。おそらく十億ドル前後にとどまるろ予想されます。

 七月のWTO閣僚交渉の直前にアメリカは、「アメリカの農業補助金を百三十四億ドルから百六十億ドルの間にする」と言っていたんです。ところがアメリカの農業交渉のトップは、ジュネーブに着いた途端に「百五十億ドルに減らします」とメディアに発言し、それを売りにして交渉をまとめようとしました。そして七月二五日の「ラミー提案」では「百四十五億ドルに、更に五億ドル落としました」といかにも成果のように言うわけです。

 だが、さきにふれたように、実際に支給する「補助金」なんて現実にはほんのわずかでしょう。関係ないんですよ。こんな農業補助金削減目標なんか。アメリカは何の譲歩もしていないんですよ。

 つまり、アメリカの現在の農業は保護する必要がないほど好景気だということがポイントなんです。大統領選が終わって、もし仮に農業の調子が悪くなれば、二〇〇八年農業法の枠内でドンドン補助金を支給したら良いと思っているわけです。

WTO農業交渉の焦点
それから、二番目の問題は、大詰めを迎えたWTO農業交渉です。今回非常にビックリしたのは、農業団体が日本政府や農水省を滅茶苦茶たたいている点です。これほど激しいのは私が知っている限り初めてです。

 具体的に言いますと、一番問題になっていたのは、「重要品目」をどう扱うのかという点です。日本で現在、関税の対象品目になっているのは千三百三十二品目です。そのうち、高関税品目数は百六十九。この百六十九の高関税品目を全部守るために「重要品目」にしようとすれば、関税対象品目全体の一二、三パーセントになります。今回の交渉前まで、農水省は最終的に「一〇パーセント、つまり百三十三品目にする」と言っいました。ところが若林農水大臣は、ジュネーブに着いた途端に「八パーセントで良い」と発言したわけです。それで、農業団体は「東京で一〇パーセントと言っていたのに、八パーセントとはなにごとだ」と怒ったわけです。八パーセントだと百七品目に減ってしまう。これでは、米農家とこんにゃく農家、酪農家などの間で「重要品目」の設定を巡って内輪げんかになってしまいます。

 ついで、いよいよ七月二一日から閣僚会議がスタートし、七月二五日には、「ラミー調停案」が出るわけです。ラミーというのはWTOの農業委員会の事務局長ですが、EUの「共通農業政策」(CAP)の中心人物で、EU農政を固めてきた人間です。彼が二、三年前に事務局長のポジションに座った。ラミーは最初からEUの利益が優先なんです。

 彼は「アメリカの輸出補助金を百四十五億ドルにする」「高関税品目の関税削減率を七〇パーセントにする」と言い切りました。

 ここで言う「高関税品目」というのは、関税率が七五パーセント以上のものですから、日本でいうと一番高いこんにゃくの一七〇六パーセントを筆頭に百三十四品目あります。で、これらの関税率を七割も削る。たとえば、現在の米の関税率は七七八パーセントですね。これを七割削減すると、二三三パーセントにダウンします。

 米の一トン当たり国際価格を三万円とします。関税率は七七八パーセントですから。輸入米の日本国内での価格は二十六万円で入ってくる。国産米のトン当たり価格とそう違わない。だから国産米が輸入米に圧倒される恐れはないというのが、ガット・ウルグアイラウンド合意のおりの結論でした。ところが、これが二三三パーセントに削減されると、輸入米が約十万五千円で入ってくるようになる。これでは日本のお米はひとたまりもないですよね。

政府と農業団体の対立
そこで、特定の農産物を一般品目ではなく「重要品目」に設定するという事が議論になってくるわけです。そして、重要品目の設定枠を農水省は「一〇パーセント」と言っていたのに「八パーセント」に減らすといい出し、「ラミー提案」ではさらに「四パーセント」にまで縮減すると言い張っています。四パーセントだと五三品目しかない。そのうえ、「重要品目」に設定したときには、日本での需要があろうとなかろうと国内消費量の四パーセントを輸入することを義務づけている。米で言いますと、ウルグアイラウンド合意によって、現在約七十七万トンを輸入していますが、さらに、国内の消費量八百数十万トンの四パーセント三十二万トンを輸入しなければならない。輸入量は都合百万トンを優に超えることになります。

 若林農林大臣は、「なんとか重要品目を六パーセントに」と言っているわけです。六パーセントだと八〇品目になるわけです。ところが六パーセントにした場合には、「さらに〇・五パーセント上乗せする」と言うのが「ラミー提案」です。そうすると、八百万トンの〇・五パーセントだから四万トン。合計百十三万トン入れろ。それが「ラミー調停案」だったんです。

 それで決裂直後の七月三〇日付けの『日本農業新聞』論説で、「穀物過剰を前提にした時代錯誤のWTO農業交渉に、終止符を打つべきだ。日本がその先頭に立とう」「農産物の自由貿易交渉は時代遅れになった」「WTO交渉からもう手を引け」と主張したわけです。ここまで政府と農業団体が対立してしまったのは初めてだと思います。

 WTO農業交渉の今回の決裂を踏まえて、もう一回繕い直しが試みられると思いますが、それには時間がかかります。アメリカの大統領選が十一月に実施され、政権交代は来年の一月からです。そこから新しい農業関係のスタッフ、体制作りも始まる。だから早くても半年はかかる。そこまでは交渉は煮詰まらないと思います。

農産物異常高騰の理由
なぜ、ここに来て農産物が異常に高騰し、食料・農産物不足、とりわけ穀物不足が大きな社会問題になってきたのか。次にこの点について言及します。

 穀物価格が異常に高くなったきっかけは、トウモロコシを原料にしてエタノールを製造するという、アメリカ政府の政策転換にあると考えています。「これは一過性のもので、そううまくはいかない」と言う研究者もおりますが、私はそういうものではなくてアメリカの農業構造自体がここに来て変わりだしたと考えております。

 アメリカにおけるエタノールの製造量は、二〇〇一年の十七億ドルから年々増加し、二〇〇七年には六十五億ドルに達し、ブラジルを追い抜いて世界最大の輸出国になりました。

 ブラジルは大国なのに自国でほとんど石油が産出できない。それで早い時期からサトウキビを原料にしてエタノールを製造し、自動車を走らせる方向を選択してきました。

 ヨーロッパは菜種油です。菜種油を原料にして軽油を製造し車を走らせる方向です。ヨーロッパは菜種油から軽油、アメリカはトウモロコシからエタノールという違いがあります。

 エタノールの主要な生産地は、アメリカの穀倉地帯である中西部に集中しています。

エタノール製造の契機
エタノール製造が急拡大する契機についてまずお話いたします。

 アメリカでは一九九〇年に「大気浄化法」が制定されます。自動車の馬力をアップするためにガソリンに鉛を入れて走らせてきましたが、鉛の公害が発生するということで、「もう鉛を入れてはいかん」ということになりました。クリーンなエネルギー政策のスタートです。

 本格的に取り組みだすのは二一世紀の初めからですが、とりわけ二〇〇五年の「エネルギー政策法」、二〇〇七年の「エネルギー自立保障法」の二つの法律によって「再生可能なバイオ燃料」を二〇〇八年の年間九十億ガロンから二〇二二年の三百六十億ガロンへ四倍も増やすという方向を打ち出しました。そして三百六十億ガロンのうちうちの百五十億ガロンはトウモロコシで製造する。残りの二百十億ガロンは第二世代のエネルギー資源と言われるいろんな廃棄物。例えば材木のかけらや残飯、食用にならない雑草みたいなものを開発して、二百十億ガロンを調達する。しかし、この二百十億ガロンについては、安いコストで生産できる技術がまだ確立していない。いずれにしても百五十億ガロンをトウモロコシから作るということを言いだしているわけです。

 それからもう一つ重要なのは、二〇〇五年法も、二〇〇七年法もアメリカのエネルギー省所管の法律だという点です。日本で言えば経済産業省のエネルギー庁の所管ということになります。したがって、これに補助金を出すというのは、WTOで問題になっている「農業補助金の範疇には含まれない」というのがアメリカの言い分です。具体的にどういう補助金を出しているのかというと、エタノール製造のプラントを建設する資金の一部、あるいは銀行から金を借りて建設する時の金利負担等々です。

 アメリカに行くと、このごろはガソリンスタンドで「E10」とか「E85」という表示が目につく。「E10」というのはエタノールが一〇パーセント混じっている、「E85」というのは八五パーセント混じっているガソリンのことです。エタノールを混ぜたガソリンのガソリン税を安くする。そういうことを連邦政府はやっている。中西部のいくつかの州でも、州独自でやっているんですね。

 これは事実上農業者を助ける事になるので、「隠れた農業補助金だ」というのが、EUやケアンズグループといった他の農産物輸出国の指摘です。実はこれもWTO交渉でまだ解決していない問題です。

穀物・石油メジャー参入
エタノールプラント工場というのは、当初はアメリカの農業団体、とりわけ中西部の「新世代農協」と呼ばれる農協が中心となって取り組み出したものです。トウモロコシ生産農家や農協が出資して、エタノール工場を建設し、トウモロコシを原料にしてエタノールを製造する。そうすると自ら生産したトウモロコシに「付加価値」を付けて売ることになりますね。だから儲けが大きい。それから、中西部の穀倉地帯は働く場が少ない、日本でいう中山間地域です。だから、若い人や中年の人たちの働く場もできるということで取り組みだしたわけです。

 ところが経営がなかなかうまくいかない。そこで結局、穀物メジャーとか、石油メジャーが、この市場に乗り出してくるわけです。穀物メジャーはトウモロコシを買い集める集荷能力は抜群です。石油メジャーは製造したエタノールの販路が確立している。そこで、農業者や、農協がつくった経営不振のエタノール工場を穀物メジャーや石油メジャー系列の企業がどんどんM&Aで買収をするということになってきました。

 現在総生産能力が七十八億八千八百万ガロン。現在建設中のものがさらに五十五億三千六百万ガロンあります。そのうち、ADMやカーギルといった穀物メジャーが四十一億九千三百万ガロン、すでに六割を占めている。建設中のものも加えると六十億ガロンを超すということで、穀物メジャーや石油メジャーが中心となって中西部のエタノール生産を牛耳るという体制が形成されつつあります。

エタノール・ラッシュ
次に、中西部穀倉地帯の農業生産はどう変わってきたのだろう。「農地の油田化」とか「黄色いダイヤ」という見出しが新聞やテレビをにぎわすぐらい、「エタノール・ラッシュ」で中西部農村は沸いています。

 トウモロコシの作付面積は、二〇〇一年当時の七千五百七十万エーカー(一ヘクタール=四十エーカー)から二〇〇七年の九千三百六十万エーカーへ、実に二千万エーカー近く増えている。日本の農地面積は耕作放棄地も入れて今四百二、三十万ヘクタールですから、トウモロコシだけで日本の約十倍作付けていることになります。

 一方、大豆は七千四百七万エーカーから六千三百六十万エーカーという事で千万エーカー以上減っています。

 これはどういう事かっていうと、これまで中西部の東側は「コーンベルト」と言われるトウモロコシの地帯で、トウモロコシと大豆を隔年で栽培してきました。他方西側は小麦と大豆とを隔年で栽培してきました。いずれも連作障害を避けるために、輪作を実施してきたわけです。しかし、トウモロコシの方が儲かるということでトウモロコシを連作して大豆の作付面積を減らしてきたわけです。

 他方、中西部の西側の小麦地帯。ここでは、東側での大豆の作付面積が減って大豆の価格がはね上がったので、小麦の作付面積を減らして、大豆をたくさん作付けるということになったのです。結局、トウモロコシも、大豆も、小麦も異常に価格が跳ね上がる。そういう事態が発生しています。

 もうひとつは人間の口には入らないエタノール原料用トウモロコシの大半はGM品種であるという点です。綿花や大豆は、二〇〇〇年頃から過半がGM品種でしたが、トウモロコシは二五パーセント程度にとどまりました。それがどんどん跳ね上がって二〇〇七年には七十三パーセント。今年の速報値では八十パーセントにまで上昇しています。

 非GMのトウモロコシを手に入れること自体が難しい時代になってきているわけですね。すでに日本にもGM品種が大量に入ってきているわけです。いくら豆腐屋さんや納豆屋さんや味噌屋さんが頑張っていても、例えば食用油だとか飼料といった形態でGM品種がドンドン入ってきている。レストランで食べる。デパートの地下で食材を買う。その食材はGM品種か、そうでないかというチェックはできないでしょう。もう家庭でいくら頑張って安全なものを子どもさんに食べさせようとしても、外側から崩れてきちゃっている。そういう危険性がますます強まってきています。

水田農業の維持と飼料米
ちょっと脱線させてもらいますけれども、日本は米の消費量が減ったという事で約四割の減反をしてきました。農水省の方針は、「四割近くは休耕ではなく転作」と言ってきたわけです。転作とは畑作物に転換するということでしょう。それが良いのかという問題です。つまり日本の水田農業、あるいはアジアのモンスーン地帯の水稲稲作というものは、世界でも最も優れた農法のひとつです。連作障害が発生しない。水を扱っているために、水と一緒に連作障害を起こすバクテリアをみんな流しちゃうわけですね。ですから西日本などは、おそらく弥生時代から二千年近く毎年米を作っているところもあるわけです。

 ただ、米の消費量が減ってきているわけですから、餌米と食用米とをワンセットで考え、食用米が足りなくなれば食用米の作付面積を増やす。食用米が余ってきたら餌米の作付面積を増やす。こういう調整機能を持たせて、水田農業を守っていくことを、これからの日本農業のめざすべき方向としなければいけないんじゃないか。

 米で家畜を飼うことは、家畜栄養学上からみてもOKなんです。問題は餌の値段、米の値段なんです。輸入餌が今回の高騰までは大体トン当たり三万円でした。日本の国産米が大体二十一、二万円です。この七倍から八倍の差をどう埋めていくか。餌米の研究が進んできて、十アール当たり八百キロ台は可能になってきました。これが二トンになれば輸入餌と対等にいける。転作奨励金を加味すると、千五百キロぐらいまで収量が上がれば、輸入餌とトントンで対抗していけると言われています。

 長い目で見た時に、水田を畑地に転換するのではなく、伝統的な水稲稲作体系というものを維持していかなければならないんじゃないか。私はそのように考えています。

 一方で四割の減反がある。その時に、転作、つまり水田の畑作化という方向で農水省が掲げる五〇パーセントの自給率を追求するのか、それとも私の言っているような方向で追求するのかで、わが国農業の将来像は大きく変わってくる。もとより餌米と食用米とをワンセットで考えて、それでペイするような体制を作っていくためには、相当の期間と相当の国家的な補助がなければできません。けれども、五十年、百年といったロングレンジで見た「わが国の食料をどうするか」という考えからすれば、考えようによってはそんなに高い金額ではないですよ。そこのところを決断しないと、「食料の自給率アップ」をいくら声高に叫んでみても、一向に抜本的な解決策を見い出せないように思います。とりわけ滋賀県のような米どころでは、この問題は非常に切実だろうと私は考えています。

アメリカ農業生産の変遷
次に「アメリカにおけるトウモロコシの需給構造の変化」ということについて見ていきます。エタノール用のトウモロコシの消費量は二〇〇三年の二千九百七十万トンから年々増えてきております。二〇〇六年には五千三百八十万トンということで、トウモロコシの輸出量五千四百万トンとほぼ拮抗する。そして二〇〇七年にはついにエタノール用が八千百三十万トンに対して、輸出量が六千三百五十万トンということで、エタノール用が輸出用を大きく上回ることになってしまった。このことが日本の畜産農家にも甚大な影響を及ぼすことにつながってきているわけです。

 私はこう考えています。

 アメリカの農業生産というのは、戦前は二F「フード&ファイバー」だったんです。ファイバーとは「繊維」です。綿花だとか、麻だとか、羊毛だとか。つまり農業というものは、食料の生産と繊維の生産から成り立っていました。

 ところが、一九五〇年代になると三F「フードとファイバーとフィード」に推移するわけです。フィードとは「餌」です。つまり家畜に穀物を食わせて育てる。「乳を搾る」「卵を取る」というようになるのは第二次大戦が終わってからなんです。

 それまでは、牛肉だってステーキ用の牛肉はありましたが、ほとんどの牛肉は屠殺するまで放牧していた牛の肉です。放牧しているから肉に脂がのらない。だから挽肉にしてラードを混ぜて、練りあげて、ハンバーガーにするでしょう。そういう脂ののらないステーキ肉を食べていたわけです。金持ち以外はね。今のアメリカの家畜の飼い方というのは屠殺する前の短くて三ヶ月、長ければ五ヶ月間ほど、畜舎に入れて濃厚飼料をたらふく食わせて肉に脂をのせる。だからジューシーなステーキ用の肉を私たちは食することができるわけです。こんなおいしい牛肉を私たちが食べられるようになったのは戦後になって穀物が過剰になってからです。それまでは人類は家畜に穀物を食わせる余裕がなかったのです。

 そして二〇〇〇年代に入って、四F「フードとファイバーとフィードとフューエル」の時代に移りました。「フューエル」は燃料です。こうした状況に沿う方向へ、中西部の農業構造も変わってきているんだと私は考えています。

 これまでアメリカの中西部は「エタノール・ラッシュ」で「農家は絶好調だ」と言ってきました。だけど、それは穀作農家にとってなんです。畜産農家は全く違う事態です。中西部というのはアメリカでも一番家族農業経営が盛んなところで、「有畜複合経営」と言って、一部で穀物を栽培し、一部で家畜を飼う。そういう経営が一般的でした。そして家畜の糞尿は土地に戻す。そういう自然循環ができていました。

 それからもう一つ、農家が「肉で売るか」「餌で売るか」を選択できたということです。「食肉の値が上がりそうだ」となれば、大豆やトウモロコシで売る量を減らして、家畜の使用頭数を増やす。ところが「肉ではちょっと危うい」ということになれば家畜の使用頭数を抑えて、トウモロコシや大豆で売る量を増やすわけです。そういう調整機能を「有畜複合経営」は持っているわけです。非常に優れた経営形態です。

 これが一九七〇年代以降、畜産で行く農家と、穀物栽培で行く農家とに特化して行く。そして畜産で行く農家は、カーギルやADMといった穀物メジャーにみんな系列化されていくわけです。そのために畜産農家は餌が跳ね上がるわけですから、アメリカでも経営が苦しくなっている。農業資材も原油価格が跳ね上がる。肥料の原料であるカリウムとかリン酸とかも異常に跳ね上がってきている。ですから決して万々歳ではないわけですね。家族農業経営がこれまで一番発展してきた中西部が、エタノール製造を媒介にして、穀物メジャーや石油メジャーに牛耳られる。そういう構造にアメリカとりわけ中西部の農業が推移してきているというのが私の見方であります。

投機マネーと穀物異常高騰
これまでお話しましたのは、世界の穀物価格が異常に高騰してくる。あるいは食用の穀物が不足してくる。そういうベースになる原因を「穀物のエタノール化」から説明をしてきました。しかし、今日の世界的な異常な穀物の高騰の原因は、こうした点だけにあるのでは決してありません。そこが大変重要なことであります。

 去年の秋からアメリカで「サブプライム問題」が発生しました。これが発端になってアメリカの金融市場が大混乱をきたしています。株は下がる。国債は下がる。

 なんで「サブプライム問題」が世界中に広がる事になったのか。サブプライムで不良債権を抱えている金融機関の数はしれているんです。しかし、債権を抱えている銀行の株を持っている企業というのがあるわけです。その企業の収益は落ちますよね。するとまた、その企業の株を持っている企業や個人の投資家がいるわけです。だから玉突き現象で影響がどんどん広がっていく。それが国境を越えて際限なく広がるわけです。アラブの石油王たちも、ヨーロッパの元貴族層の大金持ちたちも、アメリカの成金投資家たちも巨額の投資をくり返す。そういうものが全部値崩れを起こしてきたために大やけどをした。そこでみんなが金融商品の「売り逃げ」、株の売り逃げ、債券の売り逃げ、様々なデリバティブの売り逃げをしだしたわけです。

 でも、金融資産を売り逃げしても、現金(cash)に戻した時に「たんす預金」をしていたのでは利益が増えない。そこで目を付けたのが商品市場(実物市場)です。商品市場の中でも一番の中心は「先物市場」だと言われています。「先物市場」の中心は、一つは原油を柱とする鉱物資源です。だから銅の値段も、鉄鉱石の値段も、プラチナの値段も上昇する。金の延べ棒も上がる。その一環でカリウムやリンの鉱石の値段も上がったわけです。

 もう一つは「農産物市場」とりわけ穀物市場です。今、原油の先物市場と穀物の先物市場に、金融市場で嫌気がさした投資マネーが殺到しています。それで、異常に原油の価格が上がり、穀物の価格も跳ね上がっている。

 七月十五日に経済産業省が発表した『通商白書』は「昨今の穀物や原油価格高騰の二五~四八パーセントは、投機的資金の商品市場への流入による『押し上げ効果』」によると分析しています。

 具体的に数字を紹介しますと、トウモロコシは、一ブッシェル(トウモロコシの場合は二五キログラム)のベースになる価格が三・一ドル。「押し上げ効果」によるものが二・九ドルで、都合現在の市場価格が六・〇ドル。つまり値上げの四八パーセントは投機的マネーで吊り上げられていると推定しているわけです。小麦の場合も一ブッシェル(小麦の場合は二七キログラム)のベースになる価格が五・一ドル。押し上げ効果が二・七ドル。合わせて七・八ドル。三五パーセントが投機マネーで吊り上げられている。おそらく投機マネーの「押し上げ効果」は経済産業省の推計値よりも、はるかに大きいと思われます。

 経済産業省ですら、異常な高騰の原因が投機的なマネーにあると認めざるを得ない状況に立ち至っている。ヘッジファンドやハゲタカファンドに、今日の日本の食料も世界の食料も左右されている。そういう現実を直視していただきたい。これが本日の私の話の結論です。ご静聴ありがとうございました。