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第30回近畿地区生協・行政合同会議

滋賀の生協 No.181(2018.11.12)
特別講演
地域まるごとささえあうみんなの居場所とは〜「地域協同ケア」のススメ

2018年8月29日(水) 琵琶湖ホテル3F「瑠璃」
主催 近畿地区生協府県連協議会
当番県連 滋賀県生活協同組合連合会
関西学院大学人間福祉学部 教授 藤井 博志氏
  「誰もが、住み慣れた場で、その人らしく、暮らせる、地域社会と、しくみを、みんなでつくる」。そんな地域福祉を実現するためには何が必要か。地域共同ケアの在り方を、日常生活圏域のイメージや地域福祉の拠点づくりの方法、地域と専門職の協働のスタイルなど、豊富な事例をもとに、具体的にお話しいただきました。 181-t1.png
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 ■はじめに

 私は社会福祉の中でも、福祉と地域づくりをドッキングした地域福祉という分野を研究しています。高島市社会福祉協議会で、まちづくりとしての見守り活動に約七年間関わってきました。途中、コープしがとの共同事業の研究が約一年半ありまして、生協と社協がどう協働して地域をつくっていけるかというディスカッションをさせていただきました。
 今、「地域見守り協定」を締結し、コープしがと高島市社会福祉協議会の名前入りステッカーを貼った個配車が、高島市を走り見守り活動をしています。地縁団体系住民が多い社会福祉協議会と、テーマ別活動住民が多いコープしがの協働で、まちづくりが進んでいます。
 コミュニティが疲弊している中、私はSDGs(持続可能な開発目標)に注目しています。「地球上の誰一人として取り残さない世界」の実現を、小さい身近なコミュニティから進めていく。今日は、そういう地域のくらしの場からの「ささえあい」の具体例、考え方を一時間ぐらいかけて、お話したいと思います。
 日本生協連が「集いの館構想」をだしましたが、その「居場所」という「キーワード」を地域福祉の視点で見たらこういう展開が考えられますという話をしたいと思います。

 地域共同ケアの概念

 人間は人と関わりながら生きており、人と関わるために色々なサービスがある。そう考えると、「地域ケア(コミュニティケア)」というのは、専門的、具体的なサービスだけでなく、地域住民が共同して行っていくケアという概念もあるということです。
 そして、この「ケア」も、take care of(注意する、気に掛ける)要するに「見守り」という意味から、「お世話する」「介護」まで、幅広い概念として捉えて頂ければと思います。
 「地域共同ケア」というのは、ケアを進めながらコミュニティの共同を作り上げていく、また、コミュニティの共同によって地域のケアを進めていくという、私が提唱している用語です。
 ちなみに、「きょうどう」には、「共同」と「協同」と「協働」の三つの言葉があります。「共同」は同じ基盤の上に立った協力。「協同」は心を一つに合わせて取り組むという、テーマ型。「協働」は異質な集団が一つの目標に向かって協力する、パートナーシップ。そういう三つの関係性を頭に入れておいていただければいいかなと思います。

 地域福祉とは何か

 「誰もが、住み慣れた場で、その人らしく、暮らせる、地域社会と、しくみを、みんなでつくる」これが地域福祉の目標です。
・「誰もが」とは、子どもから障がいのある人、高齢者まですべての人、要するに目標は「包摂」です。「誰も外さない」。誰かが外れれば、やがて私も外れるということです。
・「住み慣れた場で」とは、生活の継続性があるということです。
・「その人らしく」とは、一つは相互役割関係。役割をもってこそ人は元気になります。もう一つは、他者と自己という社会関係。他者がいるから私の個性が見えてくる。要するに「その人らしく」というのは、みんなで生きていく」ということです。
・「暮らせる」とは、障害があっても「地域生活支援」や「セーフティネット」があること。
・「地域社会」とは、みんなが支え合う福祉のまちづくりのこと。
・「しくみ」とは、具体的なケアと参加のしくみ、地域ケアシステム、セーフティネットシステム、最近はこの中に「拠点」という問題も入ってきています
・「みんなでつくる」とは、官民協働、ネットワーキングということです。
 今、かなり大きな課題は「孤立」の問題です。特に日本は、国際調査の中でも、高齢者の社会的孤立度は世界一です。それほど日本は急激にバラバラになっているのです。
 それに対して、地域の繋がりを見直す「ソーシャルキャピタル」という概念があります。「ソーシャルキャピタル」の三つの要素は、信頼性と互酬性とネットワーク。「信頼関係にもとづくお互い様のつながりをつくっていく。それが社会の基盤となる資本になっていく」という考え方です。福祉のまちづくりの基盤もこういうことです。

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 自助・互助・公助

 よく「人はまず自立をしないと、お互いに助け合えない。お互いに助け合ってもだめな時に公助が出てくる」とおっしゃる方があります。しかし、私は、人は関わりの中で人になっていきますから、「互助の中で自助が育まれる」という考え方が大切だと思っています。
 一人ひとりが元気になって、人として自立していける。そういう地域福祉の土壌が地域にはあります。ですから、自己責任主義に陥りやすい「自助、互助、公助」というような、一方通行の考え方は、これから社会をつくっていく上で危ない考え方だと思います。

 日常生活圏域

 「自由な個人」というものを出発点にして考えを進めていくリベラリズムと、個人を社会の関係性の中で生きているものと捉えるコミュニタリズム。この二つの考え方は対立するものではありません。地域の共同性を基盤に自由が保障される。そのような地域のつながりをつくっていくということです。
 昔、ヨーロッパ等の城壁のまちでは、城壁を出たら生命、安全、自由が保障されなかった。ですから、城壁の中の共通基盤の尊重、公共性をみんなが持たないと暮らしていけなかった。これが英語で言う市民、シチズンの起源です。今はこの城壁内圏域意識が崩れてきていますので、ここを再構築する。その城壁内圏域を地域福祉では「日常生活圏域」と呼びます。
 日常生活圏域とは、
① 子ども、障がいのある人、高齢者が多くの時間を過ごしている場。つまり、こういう人たちに特に着目しないといけない場であるということです。
② 地域住民が普段の暮らしの中で、生活の問題を発見し、解決をする場。すなわち地域の問題に気付き、それを共有し、協働して解決する。その先に五年後、十年後のビジョンを描いていく。これを「地域力」と呼んだり、福祉では「地域の福祉力」と呼んだりします。その方法を「コミュニティワーク」「コミュニティオーガニゼーション」と呼びます。
③ そして、住民が支え支えられるというお互い様の関係を作る場。この場から生み出されるのは、存在承認(ここにいて構わない)と役割創造(ここに居てほしい)です
④ それとともに、住民が暮らす場の中に行政とか専門職とか、事業者が入っていって、多様な利害関係者との合意形成で一緒に地域をつくっていく場ということです。

 住民と行政の日常生活圏域の齟齬

 住民にとっての日常生活圏域とは、住民が自分たちのつながりを暮らしの中でつくっていける範域です。自治会域から小学校区域までを日常生活圏域と地域福祉では読んでいます。
 一方、行政のターゲットは、市域からおよそ旧町村・中学校区。地域包括支援センターはこの圏域ぐらいに配置されます。介護保険で生活圏域という言葉も大体このあたりの圏域を指します。
 住民は普段の中で繋がりをつくっていくのは最大でも小学校区まで。行政の施策は地域に降りていく最小でも小学校区まで。だからそこに齟齬があるわけです。この二つの接点をどういうふうにつくっていくかということです。
 結論的には、暮らしは住民が作る、暮らしの主体は住民ですから、その暮らしの場に専門職や事業者や行政が参加をしていく。そういう仕事の仕方をしてもらうということです。

 これからのまちづくりの要点

 放っておけば地域は衰退していきますので、地域経営手法が必要になってきます。
 そのために地域内経済循環をどう図っていくか。昔からコミュニティビジネスという言葉がありますが、高齢者も障がいのある人も、ひきこもりの人も社会に関わっていけるような、もっと小さい仕事づくりが必要です。発想としては、まちの中で行事ができない、盆踊りのやぐらを建てる力がない。そこに世話焼きの方が少しいる。ひきこもりの青年が何人か発見されていて、一日ぐらいは出て来られる。じゃあ、その日だけ五百円、千円で、やぐらを建てるのを手伝ってもらって、近隣の人が「ありがとう」とお礼を言う。そういう中からその人たちが少しずつ社会にも出るし、地域も成り立っていく。そういう仕事づくり、小さいお金の回り方で、地域内経済循環を回していくということです。
 それと、子どもと高齢者の役割創出。特に学校の取り込みと子どもが参加するまちづくりのしかけづくりが必要です。なぜ日本は小学校区ということを意識するか。明治の市町村合併で自然村を統合して村をつくった。そして、その中核に尋常小学校をつくって、富国強兵政策をしたわけです。その時、明治政府にはそんなにお金がなかったものですから、村の人たちが出資をして小学校をつくった。だから小学校の中に村の事務所とかがあって、その圏域の中に地域団体が結合している。日本の小学区域は、地域団体の基盤のエリアにもともとなっているのです。そういう意味で、子どもの教育も併せて、学校の取り組みと子どもが参加するまちづくりの仕掛けが必要だということです。
 それから、年に三回の会食会という行事型から、日常的に集まるサロンのような三六五日活動型を目指さないといけない。三六五日型を目指そうと思うと地縁団体の役割分担ではうまくいかなくて、ボランティア型になってくるわけです。だから、地域の中でもそういう組織づくりをやっていく。そしてリーダーを生み出していく。それと専門職と行政が先ほど言った住民の日常的生活圏域に参加をしていく。  こういうまちづくりが、大きなコンセプトになります。

 地域福祉拠点を作つくる

 このような地域福祉の象徴の結節点として、事業者や行政と協働して地域福祉の拠点をつくっていく。そのおよそのイメージは小学校区ぐらいでしょうか。
 住民が望む地域福祉拠点は① いつ行っても誰かと交流できるという「交流の拠点」。② 生活の悩みごとを何でも聞いてくれる「相談の拠点」。話しやすい場を提供していくことで、生活の中での潜在的ないろいろな願いを引き出していく。これは、まちづくりの重要な要素で「つぶやき拾い」と呼んでいます。③ それと、何かをやりたい時に活動の支援ができる「活動支援」。④ 緊急の場合は緊急の場合や介護などに困ったときに駆け込める「緊急対応・ケアと生活支援の場」ということです。

 富山県の地域共生ケア

 富山県の地域福祉支援計画の二大柱は、「見守りネットワーク」と「地域共生ケア」です。「見守りネットワーク」は、見守りを小さな網の目のように作っていく住民の関わりです。
 一九九〇年、富山市の惣万佳代子さんたち、元日赤の看護師さん三人で、高齢者の看取りを目標に家を借り、宅老所を始めます。しかし、利用者第一号は、二年間パーマに行ったこともない髪がバサバサな、障害児を抱えたお母さんでした。「三時間子どもを預かってください」というニーズで、地域で何かをするということは、特化したこちらのストライクゾーンに入ってくる人を相手にするのではなくて、いろんな人たちが持っているニーズを一旦受け止めて、それに対応していくことだと知らされました。
 惣万さんたちは、子どもと高齢者の相互役割分担をつくることで地域の元気の基盤にする「幼老ケア」を始めます。認知症の高齢者から幼児まで受け入れ、障がいのある人がケアに働く「地域共生ケア」をつくっていきました。
 最初の十年間は行政からの「子どもと高齢者をあずかるのだったら、玄関を二つ作りなさい」等の指導との闘いでした。
 今では富山県の目玉事業になり、「地域共生ケア」を小学校区に一つずつつくっていくことになっています。子どもからお年寄りまでいろいろな人を受け入れる場、何かあったら駆け込める緊急対応の場、見守りネットワークをベースに安心のケア拠点。「交流、相談、活動、ケア」の四つの要素が、一つの生活圏域にネットワークされているイメージです。
 しかし、こういう拠点を小学校区に一ヶ所つくっても、特に高齢者の方は通えない。自治会域ぐらいの狭い範域に「ふれあいサロン」等をつくって、ボランティアや、地縁団体が運営管理する。それを小学校区レベルのまちづくり計画をつくる時に、「うちの地域ではこんな拠点がこのくらいの距離に欲しいね」とか話し合って地域福祉拠点がつくられると、安心の地域づくり、まちづくりにつながっていくと思います。

 地域共同ケアの定義

 「地域という分かち合う関係性が求められる生活の場において、家族、専門職、行政までのあらゆる関係者が参加し、要介護(高齢)者本人を主体とした地域での暮らしを協働でつくりあげる実践」が「地域共同ケア」の定義です。要するに、利用者とかお客さんにしないということです。その人が主体になれる。役割を持てる。そういうふうな拠点の在り方を「地域共同ケア」と呼びたいと思います。

 「住民の丸投げ」と「専門職の丸抱え」

 実は日本の介護保険の反省もあるのですけど、「住民の事業者・専門職丸投げ」がひどいですね。それと反対に、福祉専門職にあるのですけど、制度内での「利用者の丸抱え」が見られます。
 どういうことかというと、三人の女性の高齢者が近隣で毎日お話をしながら仲良く暮らしていた。ところがそのうちの二人が、介護予防デイサービスに通うようになった。その結果残された一人の高齢者が認知症になってしまった。デイサービスというものが三人の関係性を壊してしまったのです。これは何のためにサービスがあるのだろうという話です。
 要介護になって福祉サービスを利用しはじめた人を、元気な高齢者たちは「あっちに行った人…」と表現します。「一般の生活から、福祉サービスのお世話になる」ということが、住民の意識の中では、まだまだ垣根が高いということです。
 地域の中で孤立している人がデイサービスに行くのはいいのですけど、専門職が囲い込むことで地域の関係が無くなり、専門職の中で孤立するというケースです。
 住民は「一人暮らしまでは見守ろう」と言う。しかし、要介護になった途端「それは専門職の仕事だろう」と「丸投げ」をし、専門職も「丸抱え」してしまう。地域関係、社会関係がいろいろな障害を持つことによって分断されていく。そういう意味では、住民、専門職双方の意識が変わっていかないといけないですね。
 住民の意識に関しては、自分の家族が要介護になった時に「あっちに行った人」と言いますか?という話です。地域の中で保持されていた人間の関係性が低下してきています。
 専門職の意識に関しては、住民とうまく協働できないのです。介護保険が改正されて「ご利用者様」とか言い出して垣根が高くなりました。
 人口減少と孤立化というのは、一人ひとりのニーズは高まるけれども、それを支える担い手がいない。そこを専門職だけが支えると仕事がドンドン増える。しかし、専門職も少なくなっていく。
 その解決策は、地域と専門職が協働するしかない。ただそれは「本来やるべき専門職の仕事ができないから住民への丸投げ」ではなく、本来住民が果たしていく役割を増大させていくことで、本来、専門職が果たすべき役割も増大させていく。この二つの力をどう組み合わせていけばいいのか。そのために、住民と専門職双方にどう育てればいいのかということを考えていくということです。

 二つの地域共同ケア

 地域共同ケアは、形態として、「住民から作り出す地域共同ケア」と、「専門職と住民が協働して作り出すケア」の二通りがあります。「住民から作り出す地域共同ケア」は、地域福祉拠点の四要素(交流・相談・活動・ケア)の強化。「専門職が住民と協働して作り出すケア」は、地域密着・小規模・多機能がテーマです。
 特に二〇〇四年の介護保険法改正で「地域密着型サービス」というサービス類型が創設されました。そのコンセプトが「住民も専門職もみんなで支え合う地域に」です。
 それまでは、人の最期の死に場所は、自宅か施設・病院の二者択一しかなかった。今でも結構そうですけど。その中に「地域」という場を置いて、ここを選択肢として拡げていきましょうというのが、二〇〇四年以降の介護保険のコンセプトです。しかし、それは別に介護保険だけじゃなくて、そこに地域福祉という考え方の中で、むしろそれをやっていくということです。この方向性はますます重要になってきますけど、ここに拠点が存在するということですね。
 その具体例をご紹介します。

 住民からつくり出すケア:「沖代すずめ」

 大分県中津市の「沖代すずめ」は、二〇〇〇年、介護保険が始まった年に開所しました。活動の拠点「すずめの家」は家賃一万八千円、光熱費他一万二千円。
 火・金の週二回、十時から十五時に、会費三百円(昼食代二百円、コーヒー代百円)で、地域サロンを運営しています。ボランティアは平均七〇歳ぐらいの方たちです。参加者と変わりません。この方たちは、要支援ぐらいの方が多いですけれども、みんなで支えあっているという形態です。運営費は毎月三万円です。
 民家活用による地域福祉拠点で、「交流」「活動」「相談」「ケア」の四つの機能を確保しています。住民同士の役割分担の「交流」「ケア」は、「お互い様」という意識を醸成し、「ここにいて構わないよ」「ここに居てほしい」という「居場所機能」が発揮されます。
 沖代すずめの歴史には、住民の育ちがあります。
 一九八〇年代から住民の在宅福祉活動が始まりました。独り暮らし老人対策として食事会、食事サービスを始め、そこからボランティアが育っています。
 「逆デイサービス」ってご存知でしょうか。特別養護老人ホームの入居者が外出する場に「沖代すずめ」は使われています。週に一回介護スタッフも伴ってやってきます。重度の認知症の方たちも来られますけど、そういう方たちと接することによって「あっちに行った人」ではなくて、身近な所、地域に戻ってくるということです。
 もう一方では「どんぐりサービス」という活動を行っています。住民参加型有償福祉活動として家事援助を行っています。
 住民間の波及(広がり)もあります。「ああ、こういうことでやったらできるのか」「私らもできる」というモデル提示になり、地域福祉の土壌(基盤)づくりにも貢献しています。
 沖代地区で「どんぐりサービス」とか「逆デイサービス」とか、「週二回ぐらいの民家活用」をやり始めて、数年後、他の地区でも徐々に小学区ごとのボランティアグループが、形態は違うのですけど拠点を見つけてつくりだされていっています。
 面白いのは、全然違うボランティアグループなのに、その拠点の名前を全部鳥の名前で統一しているのですね。そういうふうにネットワーク型で広がって行っています。

 要介護3の独り暮らしの認知症の方

 これは週間表です。住民の見守り、専門のデイサービス、すずめの家。アウトデイサービス、配食サービス、住民参加型のサービス、二四時間の特養のコールセンター…こういう一連の見守りの基盤がうっすらでもあるとかなり暮らせます。
 この方は要介護3のかなりひどい認知症の方です。お酒好きで、毎日酒屋でお酒を買うのですけど、お金の計算ができないのです。だから毎日一万円ぐらい出す。それを酒屋さんがちゃんとお釣りを計算して渡してくれるのです。だから生協の店舗でもユニバーサルの福祉意識があったら安心ですよ。独り暮らしの認知症の方はこれから増えますよ。「安心店舗」という言葉が大きくなってくると思います。そういう助け合いの中で、この方は最期まで独りで暮らされ家で亡くなられました。そこまでの看取りがこの形態でできているわけです。

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 専門職と住民でつくり出すケア: ふれあい鹿塩の家

 宝塚市の「ふれあい鹿塩の家」。民家型デイサービスです。目標は、「地域の縁側になる」「だれでも立ち寄ることのできる居場所を、介護保険サービスを使って実現する」こと。
 都市部で競馬場の近くで密集地です。利用者は半径一〜二キロに絞りました。利用者の約半数が五百メートル以内です。家族が連れて来たり、認知症の方でも歩いて来られます。必要なら送迎もしますが、必要のない人は好きな時に来て好きな時に帰ることができます。
 通常、制度利用は要介護認定を受けて手続きをします。しかしここは制度サービスにかからなくても「寄ってもらっても結構ですよ」と言う、これを「立ち寄り利用」と言っています。ですから近隣の人が「ちょっと気がかり」な人を連れてくる。別にそれで「明日からで手続しましょうか」ということではありません。「じゃあ利用しよう」と思う人が利用していく。そういう地域の見守りと専門的支援の連続性を意識して、三六五日開けるということです。ここは「地域の縁側」で誰でも立ち寄ることができるということですから、デイサービスも、盆も正月も開けることが基本になっています。むしろ盆・正月の方が独り住まいや障害を持った人は寂しいわけですから、その時にこだわって開けるというわけです。いつでも過ごせる安心、緊急対応、毎日の家庭的な食事、これが三六五日運営の意味です。

 ニーズありきで実践

 事業者側で運営しない。運営委員会を設けてなるべく地域が運営する。地域に主体を渡していきながら、地域のニーズをそこに持ち込んでいきます。例えば、母親同士で子どもの預かり合いをしたいから場所を貸してほしいというニーズで、共同保育が非常に盛んです。
 支え方の大原則は「制度ありきではなく、ニーズありき」での実践。地域の社会関係をこわさず、むしろ強化する生活支援と、必要なことを必要な時にするという柔軟な支えです。
 ただ今の国の介護保険制度は、こういう小規模デイサービスが成り立ちにくい制度になっていって、逆行しているのではないかと思います。大規模経営が得をするように誘導していますので、財源的には苦しいです。しかし赤字は出していません。

 ふれあい鹿塩の家:Tさん

 今、高齢者問題もどこに住むのかという、高齢者サービス住宅であるとか介護施設のニーズがものすごく高まっています。ただ、例えば百床の特別養護老人ホームを建てようとすると、土地代含めて二十五億円ほどかかるとします、単純に計算すれば一ベッド二千五百万円かかるということです。それほど高コストです。しかも、年数がたてば古くなって取り壊さないといけない。
 地域の空き家という資産が増えてくる実情を国は考えて、そういうものを運営できて、取り壊し、改変可能なものにするということが非常に重要になってくるとは思います。
 Tさんは、大きな病気をして「もう施設に行かないといけない」と病院から言われたのですけど、それを断って鹿塩の家の近くに住まわれて、毎日通って健康を保持されています。
 基本は立ちより利用です。週に五日、ボランティアできて、お手伝いをしています。週に一回はコープふれあい食事会「虹の会」で過ごして、日曜日は自分が要介護なので、入浴利用をする。こういう利用の仕方です。だから制度と普通の暮らしとの垣根が低い。見た目にも低いですし、利用者もその境をつくらない利用の仕方をしています。
 おしゃべりしながら意見を出すというのが地域の運営委員会です。こういう中で地域のニーズを話し合い、地域づくりの核にもなっている。
 これも自然に出来あがるのではなくて、場の運営が必要です。今、この地域には社会福祉協議会のコミュニティワーカーがいます。今の制度的に言うと、生活支援コーディネーターの配置が介護保険上ですすんでいますけど、そういう人に該当します。地域の運営をかげで支えながら、ここのケアスタッフが一緒になって話をしているという、そんな仕掛けです。
 もともと福祉意識が必ずしも高い所ではなかったのですが、夏まつりや歳末餅つきなど、地域の行事の場所にすることで、地域のつながりと福祉的な財産になっています。地域清掃や防犯パトロールでもここを地域の拠点とします。また、地域の人は、認知症の方の暮らしぶりも見ています。「こういう暮らし方ができるんだ」ということを目の当たりにすることで、「認知症になることも怖くない」「普通のことや」というように、地域の理解も深まってきています。

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 専門職による地域共同ケア:「いつでん・どこでん」

 最後に、地域福祉計画に則った事例をご紹介します。
 熊本県の山鹿市が山鹿市地域福祉計画「高齢者が生き生きと暮らせる社会づくり」を立てました。熊本県は、熊本県地域福祉支援計画「地域ささえ愛プラン」、小規模・多機能・福祉ホームという拠点を軸に、「デイサービス、ナイトケア、ホームヘルプ、グループホーム、交流サロン」等々、いろいろな物を地域の中に埋め込んで、安心のまちづくりにつなげよう。こういうイメージの下に、小学校区ぐらいで何が必要か地区計画を立てました。
 その時に認知症のグループホームをされていた一人の事業者が、「お亡くなりになっても、認知症の方はすぐにまたやっている。結局は地域で支え切れなくなった、地域から排除された方がグループホームにやってくる。支えきれないという状況を地域が作っている」ということに気づきます。そして、「うちに来ない地域づくりをしよう」と発想の転換をします。「ここが障がい者居住で、ここが交流拠点で、ここが認知症のグループホームとデイサービスという合体型のワンストップの施設をつくろう」
 そうして開所されたのが、山鹿市の「いつでん・どこでん」(いつでも来て下さいねという意味)です。
 しかし、「地域づくりをしよう」と言っても、これだけ地域力が弱まり疲弊していると、「あなたたちで考えなさい」と言っても、「助け合いの促進を」と一方的に要求しても、「わがことのように考えろ」と言っても、それは無理なのです。
 そこで、地域とのパイプ役として運営協議会をつくります。地域の地区の人には「私らは、あなたたちがやることにノーと言わないから」というと、地域の方は見守り活動を始めます。
 ここでは「ノー」と言わない。行政、専門職、事業者が「責任をもって地域を支えます」という強いメッセージを発信することで、住民は本音の願いが言える拠点となっていきました。

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 住民の声

・息子の家(広島)に引き取られたが、友人もできなかった。多くの人の中にいても孤独だった。一人暮らしになっても、これまでの友人やお付き合いしていた関係を続けられることが大事だった。
・介護が必要になったら、家族に迷惑をかける。迷惑はかけたくない。だから、これまでは施設か病院に入るしかないと思っていた。
・自宅ですみ続けたいが、又は介護してもらいやすいところで暮らしたいが、老人ばかりでは元気がなくなる。若い人や子供との交流があってこそ、元気をもらう。(慰問ではない、普通の社会の中での暮らし) 生きる力を持ち続けたい。
・目の前に、小規模多機能ホームができて安心している。いつでも何かあれば支えてくれるそれだけで気持ちが楽になった。

 排除をしない。共に生きる

 今では、ここの地域の男性の人が、自然に、ここの施設の修理を買って出てやっています。自分の地域の財産と捉えているわけです。
 この地域の老人クラブのハイキングの写真があります。この写真はただのハイキングではなくて、この地域の老人クラブが、グループホームに入られた方を誘って、一緒にハイキングしている写真です。
 これが「排除をしない。自分たちが共に生きていく」ということを統合してやっていくケアの在り方だし、そういうことを生み出す拠点の作り方の一つかなと思います。
 ご清聴ありがとうございました。