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環境の取組

第24回滋賀県生協大会 「山人と漁師が語る森と湖からのメッセージ」(1)

滋賀の生協 No.143 (2008.3.10
第24回滋賀県生協大会 パネルディスカッション
「山人と漁師が語る森と湖からのメッセージ」
戸田 直弘さん(守山漁業協同組合)
澤田 順子さん(株式会社マルト)
藤井 絢子(滋賀県生協連常務理事)コーディネーター

 二月一七日(日)滋賀県立大学交流センターで第二四回滋賀県生協大会「地球のためにびわ湖から・山からびわ湖へ~水の大切さを学ぶ」が開催されました。漁師の戸田さんからは湖の様子を、近江の森と樹を活かす家づくりをしている澤田さんからは山の様子を伺い、山と湖をつなぐ活動のために「どう動いたら良いか」ヒントを探りました。
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山人と湖人をつなぐ運動

藤井 それでは早速ですが、「森と湖からのメッセージ」へ移りたいと思います。みなさまのお手元に「生協大会のしおり」があると思いますが、そこに「山からびわ湖へ」というタイトルをつけさせていただきました。先ほど嘉田知事からのメッセージの中にもありましたが、「いつまでも生き物が生息するびわ湖を未来に継承するために私たちは何ができるんだろう」と考える、そのきっかけになってくれたら大変ありがたいと思います。

気仙沼の漁師の畠山さんが、一九八九年に「森は海を思い、海は森を思い」という「森は海の恋人」運動を始めています。湖国、滋賀県では「湖」を「うみ」と言いますから、なんとか滋賀県でも山と湖をつなぐ運動ができたら素敵だなあと思っていました。
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藤井 絢子さん

 実は去年、びわ湖にとって歴史的な事が起こりました。三月の初めになっても、まだびわ湖の上の水と下の水が混ざるという大循環、「深呼吸」が起きていませんでした。びわ湖は一九八〇年代から少しずつ酸素が減っている水域が出てはいたのですが、こんなに長い期間「深呼吸」がとまっているというのは、びわ湖にとって初めての経験だということを研究者の方々に伺いました。ですから今日の雪は私たちにとっては大変でしたが、びわ湖にとっては「良かったなあ」って拍手したい気持ちです。

 そんな中で、私たちは生協連のテーマとして「山と湖をつなぐ」「山人と湖人をつなぐ」ということができたら良いなと考えて来ました。宮城県に気仙沼というところがあります。その気仙沼の漁師の畠山さんが、一九八九年に「森は海を思い、海は森を思い」という「森は海の恋人」運動を始めています。湖国、滋賀県では「湖」を「うみ」と言いますから、なんとか滋賀県でも山と湖をつなぐ運動ができたら素敵だなあと思っていました。今日その形が初めて実現し、山人の澤田さんと湖人の戸田さんに来ていただくことができました。

 短い時間ですが、戸田さんからは湖の様子を、澤田さんからは山の様子を伺い、今日のこの日を終わった時に、私たちが山と湖にどれぐらい思いをいたして「どう動いたら良いんだろう」というヒントが得られたら良いなあと思っています。

 さあ、それでは戸田さん、湖人からのメッセージをよろしくお願いします。


漁民の森づくり再生活動

戸田 みなさんこんにちは。

 今コーディネーター藤井さんからおっしゃられたように、「びわ湖の深呼吸」。学者、先生方、研究者のみなさんは、「びわ湖が危ない」「魚が危ない」「水が危ない」というような危機感を持って研究されておりますので、発表される時は漁師としても「えっ、どうするの。そんなに、酸素がなくなってしまうの。雪降らなあかんねんや」という思いを持ちました。そんな中で二月に入っての雪の朝。漁に出る前に雪が船に積もっています。その雪どけ作業をした後に漁に出るのが全然苦にならなかった。すごく楽しかったです。

 今日「山からびわ湖へ」ということですが、「びわ湖は今山へ」という形に置き換えてお話させていただけたらいいかと思います。

 まず、藤井さんからお名前が上がりました畠山重篤さん。牡蠣養殖業を気仙沼でされている方で、私もこの方の本を読んで知ったのですが、「森は海の恋人活動」の最先端を行く人です。この方が牡蠣の養殖研究でフランスのロワール川河口周辺に行かれた時に、初めて「海から森を見る」という視点を得たそうなんですね。これがまさに二〇年前、「海で生活する漁業者による森林再生植林事業」の始まりだったんです。

遅ればせながら一昨年より滋賀県の漁業者も、高島と野洲地区だけに限定されてはいますが、「漁民の森づくり」を始めました。湖を守るには森を守らねばならない。森を守るには森を守る人「森の番人」たる農村部の方々を守らねばならない。 写真

戸田 直弘さん

 遅ればせながら一昨年より滋賀県の漁業者も、高島と野洲地区だけに限定されてはいますが、「漁民の森づくり」を始めました。湖を守るには森を守らねばならない。森を守るには森を守る人「森の番人」たる農村部の方々を守らねばならない。じゃあ漁師に何ができるか。楢やくぬぎ類を総称して「柞(ははそ)」という古語があるそうです。その「柞(ははそ)の森」を絶やしてはいけない。畠山さんの牡蠣は、びわ湖ではしじみに置き換えられます。しじみを育む植物プランクトンは森につながっていることに気づいたんです。

 どうぞ、琵琶湖の周りに位置する森づくり再生活動をあたたかく見守っていただけたらと思います。

 地域の間伐材などを使って防波堤、消波堤などをつくる。これもすごい効果があることがが立証されてきております。

地産地消の生活への移行

 私、年に数回、春から夏、秋口、天気の良い時に、気分転換にびわ湖バレイにいきます。眼下に、びわ湖を中心とした「小宇宙」が広がります。「守山、うわあ野洲川」。昔は三上山を三周半も巻いた蛇が暴れたという野洲川ですが、今は穏やかに流れてくれている。「あんなエエとこに住んでいるんや」と癒される。と同時に、その全て、山から川から田畑からつながってきたびわ湖。「全て活かさなもったいないやん」というふうに感じます。

 「食べること」をどうしてもつなげたいし、つなげないかんと思うてます。「フードマイレージ」という言葉ご存知ですか。食料輸入量と輸送距離を掛けた数字。要するに遠い国から輸入されるほど輸送燃料が必要になり、そこで吐き出される二酸化炭素の量が大きく、環境負荷が大きいというやつですね。二〇〇一年の試算では、日本はアメリカの三倍であり、フランスの九倍というのが、新聞に載っていました。私たちはそれだけ、食料を得るため地球環境に負荷を与えているということなんです。自分自身の安全のためにも、「びわ湖を中心とするすばらしい小宇宙」のためにも、また大きく地球環境のためにも、なるべく近くの、なるべく地域のものを使うという生活に、私は移行していきたいと思うています。なかなか難しいと思います。無理をしない程度に「なるべく」で良いと思います。

 滋賀県の無形民俗文化財に、日野菜漬、丁稚羊羹と並び、湖魚のなれずし、佃煮、あめのうおの炊き込みご飯が選ばれています。これはまさに湖魚がそれだけ広く、長く愛し続けられてきた証だと思うんです。そのことはまた漁師の大きな喜びでもあります。

 びわ湖は県民、国民の財産です。風景もそうなら、そこの水、魚も全てみなさんの財産です。でも僕はびわ湖の水も魚も風景も全部自分のものやと思うてます。けどこれは何も、「僕のやから独り占め」というニュアンスのものではないのですね。「僕のものやから大切にしたいんや」「俺のものやからそんな無茶すんなや」という、そんな感じのものです。

 地域の生協のみなさんの協力を得て漁業青年会の者が、湖魚の普及、料理実習にも取り組んでいます。滋賀県立大学においても、行政の方、学校関係者の方々にご協力を仰ぎ、長年びわ湖の湖魚だけを使った料理実習の時間を持たせていただいております。

びわ湖とともに生きていく

 締めくくりですが、何せ自然環境に大きく左右されるびわ湖の漁業です。私ら漁師も漁具、漁獲サイズ、漁期、漁法、保護水域等々の制約がいっぱいある中で漁業をしています。そして自然特性を維持しながら漁業をしてきたつもりです。でも、今の現実を照らせば、何か言い訳じみたとこにも聞こえることもあります。山から琵琶湖につながったこのびわ湖とともに生きていきたいんで、そこには責任も生じると思います。魚の姿ばかりを追うんじゃなく、その魚が悠々と子孫を残して、悠々と泳いでいられる。そんなびわ湖環境と折り合いをつけながら、びわ湖の漁業を引き継いでいきたいと思います。

川上と川下をつなぐ山中

藤井 はい。どうもありがとうございました。戸田さんは「わたし琵琶湖の漁師です」(光文社新書)という世界湖沼会議の時に関わった本当におもしろい本を上梓されておられます。そこの口絵に、鮎を獲るには、六月七月にかけての「鮎すくい漁」というものすごく格好良い写真があります。機会があれば是非ご覧いただければと思います。

 さて澤田さんですが、さっき楽屋ですごく感動的な話を伺いました。山側の山林の組合長さんが、雪の降った後、雪の状態を山に見に行く時は「川下にこれで水は足りているんかいねえ」ということを思いながら見るという話です。びわ湖に住んで普通に暮らしている者として、そんな思いで山人がいるということに感動しました。

 さて「わたしは山人ではないのよ」と言いながら、実は三年前から山に入っている、山主でもある澤田さん。お願いいたします。

澤田 みなさんこんにちは。株式会社マルトの澤田と申します。

 私たちの株式会社マルトというのは「近江の森と樹を活かす家づくり」ということで、活動しているんですが、山に入りだしたのは実を言うと数年前からです。実際に山に入って、いろいろ気がつくことがいっぱい出て参りました。それを話したいと思います。

 滋賀県と言うといつもびわ湖があるんですが、こんなに周りがいっぱいあるんですね。(図一)滋賀県は森林が半分あります。そこからびわ湖や農地に水が流れていくわけです。私の会社は八〇年前、芹川の上流の多賀町佐目というところで、山から木を出して製材することから始まりました。昔は建築材の製材をしながら、その端材は木箱に使ったり、割り箸に使ったり、お風呂の焚き付けに使ったりして、ちゃんと川下と川上がつながっていたんですね。山人と言われたんですが、実を言うと私達の仕事は山中の仕事になります。

 ところが、建築も始めてしばらく経ってから、地元の木を使わなくなりました。それで、山の方、林業の方との交流が途絶えてしまいました。その後、三、四年前に「エコアクション二一」という環境の取組みを始めまして、それで「企業から樹業へ」、もう一度山を見て仕事をしていこうということで、川上と川下をつなごうというふうに動いております。



図一

森林伐採は環境に悪いか

 みなさん「森林伐採は悪い」というふうにお思いですか?多賀の森林と人々のつながりを持つようになってみると、「これは森林破壊になるのだろうか」「本当に環境に悪いんだろうか」と思うようになりました。「森林伐採は環境に悪い」というのは、近江の森、滋賀県の環境にとって「誤ったメッセージ」だったように思います。

 そういうことを考えまして、「環境活動レポート」を出したんです。それで、環境コミュニケーション大賞で環境大臣賞を二回頂戴いたしました。実際に森林で何が起こっているのか。わかったことを伝えることの大切さを学びました。

近江の森と樹を活かす家

 まず私達がやっている仕事というのは、まず「近江の森と人を結びたい」というのがあります。実際に山主さんとの関係は、しばらくの間市場もなくなって隣の山の木も使いたくても手に入らない状況になっておりました。「流通というのがどこかで途絶えてしまっているな」ということに気がつきまして、「それなら伐っちゃえ」という感じで自分たちで伐採をはじめました。

 伐採の方法は、秋から一月末ぐらいまでの「旬伐り」や、「新月伐採」、「葉枯らし」など、自然の営みにあわせて樹の良さを活かすということでやっております。また「トレーサビリティ」にも取り組んでいます。

 次に「製材」ですが、これも「強くて長持ちする。滋賀の風土に合う」ということで「天然乾燥」をしております。日本に生えている樹は、日本にいる虫や菌に強い成分があるんですね。そういう部分を大切にしたいということでこういう取組みも始めました。これが「樹を活かす」という事のメインの仕事なんです。

 「建築」に関しては、多賀町霜ヶ原の山でとれた大黒柱を使ったり、柿の木を床の間飾りに使ったり、葦の下駄箱の扉など「近江の森と樹を活かす家づくり」をしております。

 また、「自然素材にこだわって」ということで、栗の土台に柿渋を使ったり、土壌は木酢液で処理したり、今、多賀町土田で建築中なんですが、ここは田んぼとか畑が多いんですね。やはり人にも、近くの農地や土壌や水に優しい取組みということを考えています。

 「大地に還る素材、呼吸する自然素材、二百年住宅」ということで、「環境共生住宅」にも取り組んでいます。また、「先祖が育んでこられた山の木で家を建て、森林を子孫につなげる」父上に教わり、息子さんと地元のサポーターで植林もしています。

 また「生活に活かす地元の森林資源」ということで、「木工」「炭」の普及、利用にも取り組んでいます。石灰ってありますよね、あれは山を削って作るんですが、その石灰の代わりに炭だとか、他に地元のもので使えるものがないかと動いています。

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