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消費政策の取組

第二七回滋賀県生協大会 「広がる貧困その再生をめざして」(3)

滋賀の生協 No.154(2010.12.10)
第二七回滋賀県生協大会
「広がる貧困その再生をめざして」

二〇一〇年一二月四日(土)滋賀県男女共同参画センターGーNETしが 大ホール

反貧困ネットワーク代表 宇都宮 健児弁護士

   貧困拡大の二つの要因

 日本の貧困拡大の大きな要因は二つあると、私は思っています。一つは、日本の社会保障制度が極めて脆弱であること。もう一つは、「ワーキングプア(働く貧困層)」が拡大していることです。

 「社会保障制度の脆弱性」は、「生活保護受給者の割合の少なさ」に象徴的に表れています。

 憲法二五条で「健康で文化的な最低限度の生活」を保障し、それを具体化したのが「生活保護法」です。ところが、生活保護水準以下の人の三割しか生活保護を受給していない。これは厚生労働省がはじめて調査して推計した数字です。

 学者も「日本の生活保護の捕捉率」を調べています。生活保護水準以下の人で、生活保護を利用している人の割合を「捕捉率」と言います。一番高く評価している学者で、一九・七パーセントの「捕捉率」です。つまり、生活保護水準以下の人の十人に二人しか生活保護申請をしていないということです。

 一方、ドイツの「捕捉率」は八七パーセント、イギリスで八五パーセントになっています。

 「これはなぜなのか」。原因はいろいろ考えられますが、学校で教えていないことも大きいんじゃないかと思います。憲法二五条は教えますが、「生活保護の申請はどこに、どういう書類を出せば良いのか」ということを具体的に教えていないですね。

 あるいは、生活保護の申請をしても「水際作戦」が行われてきた。例えば、野宿をしている人が生活保護の申請をすると、これまでは「住民票がないからダメだ」ということで追い返されているケースが多かったんですね。仕事を探して会社の面接までこぎつけたとしても、「あんたどこに住んでいますか」と聞かれて「新宿中央公園で野宿しています」では、雇う会社はないですよね。まず住まいを確保して住民票もしっかりさせないと仕事を見つける環境にはならないんですけど、野宿状態であるとわかりながら「仕事を探して来なさい」と生活保護の申請を認めないのは、非常に問題がある対応だと思います。

 さらに「生活保護」に対する偏見もあり、なかなか受給する人が少ない。

 日弁連は、「そもそも生活保護法という名前自体が、国家の恩恵のようなのでおかしいんじゃないか」ということで、「名称も変えるべきだ」という提案もしています。

 今まで、この脆弱な社会保障制度を補ってきたのは、日本の家族や地域社会、企業の福利厚生でした。しかし、家族はバラバラになって社会保障を補うことができなくなりました。企業の福利厚生も、グローバリズム、国際競争に対抗しなければいけないということで、徐々に「福利厚生」を削ぎ落として、最後は正社員を非正規に置き換えていきました。社会保障制度を補完していたものがなくなり、不備が剥き出しになって表れてきているのが、今の状況ではないかと思います。

 さらに日本の社会保障制度の不備を別な形で補っていたのが「高利貸し」です。本来社会保障でカバーすれば良いものを、やむを得ず高利のお金を利用することで「低所得」「生活苦」を補っていた。その結果ますます貧困化が進むということです。

 ちなみに、ドイツやフランスには、日本のような「サラ金」とか「ヤミ金」がなく、銀行が「消費者金融」をやっています。そして銀行で借りられない低所得者に対しては、手厚い「セーフティネット」が張られています。

   「経済の貧困」と「関係の貧困」

 今の「貧困」の特徴は「経済的な貧困」だけではなく、それにプラスして「関係の貧困」です。

 二〇〇八年二月二三日の読売新聞に「樹海の看板二九人救う」という記事があります。この記事に一人の男性のことが取り上げられています。四四歳の男性で、千葉で運転手の仕事をしていた。ところが持病が悪化して会社を辞めざるを得なくなって、車上生活をしていたんです。「サラ金」からも一五〇万円ぐらい借金をしていたようです。もう展望がなくなって「死のう」と思い、青木ヶ原樹海に入って二週間さまようんですね。さまよっている間に右足の一部が壊死状態になって、警察官に保護されました。そして、先ほどお話をした「看板設置運動」をやっていた、神田の「多重債務者の被害者団体」を紹介されるわけです。それで警察官のポケットマネーで神田の駅まで行くのですが、駅のホームで倒れちゃうんですね。それを、神田の「多重債務者の被害者団体」の人が助けに行き、救急車で病院に入れて、生活保護の申請をしてあげて、リハビリもやって、足の手術をして退院をされるわけです。

 私はこの男性のことを聞いていましたので、この年の五月に弁護士会館で開催した日弁連の「多重債務対策のシンポジウム」に、この男性を招いて「体験報告」をしてもらうことにしたわけです。

 私はこの男性が「自分は青木ヶ原樹海から生還したんだ。一命をとりとめた。これから頑張ります」と、元気が出るような明るい報告をしてもらえるんじゃないかと期待していました。いよいよ彼の「体験報告」の時間になって壇上に上がっていくのですが、その姿は、手術間際ということもあったんですけど、足を引きずりながらなんとなく暗いわけですよ。そして、壇上で坦々と自分の体験を話して、最後に彼は何を言ったかというと「自分のこれからの将来の選択肢は四つある」「一つは仕事を見つけて普通の生活をする。二つ目はホームレスになる。三つ目は犯罪を犯す」「四つ目はもう一回自殺をする」と言うんです。「この四つのどれを選択するか。今のところは決まっていません」と言って、壇上を降りたわけですね。もう会場はシーンとして…私が期待した話とは全然逆の話をしたんですね。

 彼は一命をとりとめて生活保護をもらえた。雨露をしのぐ住まいを手に入れた。三度三度の食事ができるようになっている。だから、彼は「前向きに生きていこう」という気持ちになっていると期待したんですけど、考えてみたら彼は「一人ぼっち」なんですね。帰る家庭がないんですよ。そしてお友達もいないんですね。確かに彼は生き延びられるかもしれません。しかし、「生きがい」とか「希望」というのは湧いてこないんですね。

 数カ月後、茨城県の古河で「ヤミ金問題のシンポジウム」が開かれ、私はそこで講演をしたんです。そしたらその会場に、彼が来ていたんです。休憩時間に「多重債務者の被害者の会」の人と話している様子を見ると、ずいぶん明るくなっているんですね。笑顔が見えるわけです。「被害者の会」の人に「ずいぶん変わったね。どういう状況なの」と近況を聴きました。

 そうすると「被害者の会」の人は、「彼はずっと一人の部屋でごはんを食べている。退屈でしょうがないから神田の被害者の会に顔を出すようになった」と言うんですね。

 神田の「被害者の会」は、借金を抱えて行き詰った人が集まって、生活の再生に向けてお互い励まし合う活動をしています。みんな一回や二回自殺を考えた事がある人たちです。そこでは、「多重債務」で苦しんでいる人たちの支援活動を、被害者自身がやっているんですね。

 彼は、そこでコピーをとったり、お茶を汲んであげたりしているうちに、「元多重債務者」の相談員と親しくなっていったんです。ごはんも一緒に食べる。馬鹿も言い合う。そういう中で、時々相談に来る人の話を聞いてあげる。すると、それだけで「ありがとう」と感謝されるわけです。彼はこれまで、人から感謝されたことなどほとんどなかったわけです。

 それで少しずつ張合いが出てくる。今まで「たった一人ぼっち」だったけど、同じように「多重債務」を抱えて苦しんでいた人がやっている「被害者の会」の中で、新しい家族が見つけられたわけです。そして「自分も何かしら人の役に立っている」「仕事がやれている」と実感した時に笑顔が見られるようになったんですね。

 「生活に困っているから生活保護をとってあげる」それだけでは本当の意味での「貧困からの脱出」には繋がらないんです。「関係の貧困」を解消するということが「貧困からの脱出」「貧困問題の解決」に重要なカギを握っているんじゃないか。

 このことを通じてすごく感じている次第です。

   貧困当事者を支援する

 「貧困問題」は、目に見えにくい貧困の実態を、いかに目に見える形に顕在化させ、社会にアピールし、政治的、社会的に解決するかということが重要だと思います。そのためには、「貧困当事者が貧困の実態を世の中にアピールしていけるような支援」が重要じゃないかと思っています。そのためには、貧困当事者の居場所を提供する必要があります。そして「関係の貧困」を解消して、一息ついてアピールしていく。こういう運動が重要じゃないかと思います。

 我々は「金利引き下げ運動」「貸金業法の改正」をやってきましたけど、弁護士は代弁者ですから、「多重債務者の被害者団体」をつくって、被害者自身が自分たちの被害の実態を告発していくという運動を大切にしてきました。今「多重債務者の被害者の会」は、四七都道府県、八五団体ぐらい結成されています。

 「貧困問題」も基本的には同じように、「貧困当時者がいかに声を上げていけるか」その辺の支援が重要だと思います。

   社会的・政治的に解決する

 それから「貧困問題の解決」には様々な分野の取り組みが必要だと思います。簡単に言えば「普通に働いたら人間らしい生活ができる」。同時に、「失業や病気で働けない時でも人間らしい生活ができる」。こういう政策が必要だろうと思います。

 「普通に働けば人間らしい生活ができる」ためには、「最低賃金の引き上げ」、「労働者派遣法の抜本的改正」、「同一労働同一賃金」、「労働条件の改善」や「雇用保険の問題」、「職業訓練」。こういう対策を充実させる必要があると思います。

 「失業や病気などで働けない時でも人間らしい生活ができる」ためには、「生活保護の運用改善」、場合によっては「生活保護法の改正」、低所得者に対して低利で融資をする「セーフティネット貸付」、それから「低家賃の公営住宅の供給」も重要だと思います。

 最終的には「医療や教育の無償化」が重要な政策になるのではないか。北欧の「教育」は大学、大学院も無償化されています。「医療」と「教育」が無償化される社会は、極めて安定した社会、落ち着いた社会になるのではないかと思っております。

 こういう社会をつくるためには、「消費者運動」「労働運動」「社会保障運動」の垣根を超えた連帯とか連携が重要になると思いますし、イデオロギー的な立場とか、政治的立場を超えた協力、協働が重要ではないかと思っております。

 東京の「反貧困ネットワーク」には、労働組合は「連合」「全労連」「全労協」など、ナショナルセンターの関係者が参加してきています。

 最近ではキリスト教の牧師さんとか、仏教のお坊さんもネットワークに参加するようになってきています。私自身も、キリスト教の団体とか、仏教の団体から講演を頼まれることも多くなっています。二〇一〇年四月には、カトリック教会で「貧困の話」をしました。講演は讃美歌を歌って始めるわけですね。天台宗のお寺で講演したこともあります。司会者が「じゃあ、宇都宮先生にご挨拶をしましょう。南無阿弥陀仏」と唱えて、終わった後「お礼のご挨拶を。南無阿弥陀仏」ということで、私も思わず手を合わせました。讃美歌であろうと、南無阿弥陀仏であろうと、「貧困の問題を一緒に取り組もう」ということであれば、つながっていけるんじゃないかと感じています。

 労働者福祉中央協議会会長の笹森清さんがよく言われているんですけど、「同質の集団の集まりは和(足し算)にしかならないが、異質の集団の集まりは積(掛け算)になって運動が広がる」という考え方は、すごく重要ではないかなと思っています。

   一人ひとりが孤立しない社会

 「社会保障」とか「労働政策の改善」などの政策課題は、当然政府に求めていかなければ「貧困の解消」はできません。しかし片方で、「関係の貧困」というのは、政府の政策だけでは解決できない分野の問題ではないかと思っています。

 つまり、「貧困当事者の孤立」という問題は、「貧困当事者の隣に住む我々一人ひとりの問題」「貧困当事者の住む地域社会の問題」として受け止めなければいけないのではないかと思います。一人ひとりが孤立しない「思いやり」「助け合い」「支え合い」のある社会を、一方でつくっていかないと「労働者派遣法の改正」とか「生活保護の改正」などの政策課題だけでは解決できない問題があるような感じがします。

 二〇一〇年六月一八日に「改正貸金業法」が完全施行されましたが、この前後にフランスのテレビ局に「日本の多重債務問題」について取材を受けているんですね。その時にフランスのテレビ局から「日本はなぜ高齢者や子供を、社会全体が守ろうとしていないのか」と質問されたんです。「高齢者や子供などの社会的弱者を社会で守っていくのは、極めて当たり前の感覚だ」と言われて、非常にショックを受けました。フランスでは「社会的な弱者をみんなで守る」というのは、政治が守るだけでなく、地域社会とか、お隣にいる人が手を差し伸べることが当たり前になっている。

 ところが日本では、例えば大阪で、離婚して風俗で働いていた母親に、二人の子どもが置き去りにされて亡くなりましたよね。誰もその子どもを救おうとしなくて、結局はその母親の一人が支えなきゃいけないような社会なんですね。多くの高齢者が行方不明になっていますけど、そういう人に対して肉親でも非常に無関心になってきている。

 そういうことを解決していかないと、「貧困問題」の解決はできないんじゃないかなと思っております。

 どうも長時間ありがとうございました。


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