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平和の取組

平和記念講演「核兵器廃絶と原発問題について」(3)

滋賀の生協 No.158(2012.3.30)
平和記念講演
「核兵器廃絶と原発問題について」

2011年12月15日(木) ピアザ淡海

安斎科学・平和事務所所長 立命館大学名誉教授
安斎 育郎氏

主催:ピースアクション2011・しが実行委員会

   確定的影響と確率的影響

 恐れる理由とは何か。

 放射線には「確定的影響」と「確率的影響」という2つの影響があって、「確定的影響」というのはある閾値(いきち)、「限界線量」と呼ばれる線量以上に一度に大量に浴びると、誰でも確定的に、急性の放射障害で死に至る。大体、急性の障害、下痢が起こったり吐き気が起こったりするのが平均的に千ミリシーベルトくらいから。四千ミリシーベルトを浴びると半数の人が一ヶ月で死ぬ。七千ミリシーベルトだと、全員が一ヶ月で死ぬ。「全致死線量」とか「百パーセント致死線量」といわれています。

 幸い福島では今のところこの「確定的影響」で命を落としそうな人はいません。チェルノブイリ事故とは明らかに違う。チェルノブイリ事故は延べ八〇万人ともいう消防隊員が現場に突撃して行って、報道されているだけでも三一人がこの「確定的影響」で死んだのです。福島は今の段階で事故を収めきれば「確定的影響」で命を失う人はいなくてすむかもれしれない。しかし余震が襲ってくるかもしれないので、まだ予断を許さないのですが、「隠すな。嘘つくな。故意に過小評価するな」を言い続けてほしいと思います。

 やっかいなのは、「少しずつだらだら」という放射線の浴び方です。その結果、「確率的影響」で「将来癌や白血病になる確率が増えるかもしれない」と言われています。

   原発を止めれば安全になるか

 「今日原発を止めれば安全になるのか」というと、そんな生易しいものではない。原子炉の中に散々放射線物質が溜まっているので、これは十万年くらい人間環境から隔離しておかなければいけない。強烈な放射線廃棄物は「ガラス固化体」というビー玉みたいなものに溶かしこんで、鋼鉄製のボンベにいれて、地下二千メートルとか三千メートルに格納して、人間社会と関係ないようにしなければいけない。

 フランスは、七五パーセントの電力を原発に依存しているのですが、もうすでに廃棄物がいっぱいできていて、鉱山の跡地などに埋めている。先日NHKの特集で、インタビューを受けた技術者が「二十万年後が問題です」と言っていました。

 十万年後の話なんかしちゃいけない。十万年前はネアンデルタール人が住んでいた。我々は議論できるのは、せいぜい三十年後までです。今から千年経ったら、「千年前に住んでいた人類が、原子力発電の恩恵に浴するだけ浴して、何の価値も生み出さなくなった大量の放射性廃棄物をここに埋めたらしい」と、覚えてくれているかさえわからない。

 だから我々は、事故以前の問題として、大量の廃棄物を、将来何十世代、何百世代に渡る負の遺産として残すようなことは、やめたほうが良いのではないかと思います。

質疑応答風景

   「外部被曝」と「内部被曝」

 被害を最小化するには「外部被曝」と「内部被曝」を両方減らさないといけない。

 「外部被曝」を減らす。今、降り積もっている大地のセシウム一三七などのガンマー線が、空気中で何百メートルも飛んでいる。これを減らすために大地をひたすら削る。削った汚染表層土は、グランドの横に深さ二~三メートルの穴を掘ってそこに埋め、上にビニールシートをかけて立ち入り制限しておけば、それで十分です。願わくは、その上に鉄板なんかをおけば遮蔽効果がある。鉄板も津波でスクラップになった車の廃材で十分。埋める場所は、行政が「グランドの西南の角に、どういう方式で、何メートルのところに埋めろ」とか指示して、埋めたという共通の標識を作って立てておくことが必要です。共通の標識で「掘ってはいけない場所なのだ」とわかるようにするのが、行政の役割なのです。

 野山は削りにくいですが、人間が居住している環境に近い里山とか、年間何万と人が訪れる福島の花見山公園のようなところは、これから十年かかろうが、三十年かかろうが、削れるだけ削らなければいけない。行政まかせでもいけないし、我々もボランティアとして削らなければいけないし、業者にも委託しなければいけない。そういう意思を我々が持ち続けることができるかどうかが、かなり重大な問題です。

 福島の放射能が千分の一に減るのが三百年。百万分の一に減るのが六百年。福島が昔物語になるのが何百年か先の話になるので、「一冬越せばなんとかなる」という幻想はきっぱりと捨てなければいけない。それくらいの事態を目の前にしているということです。

 「内部被曝を減らすには、体の中に放射能を取り込まないようにすれば良い」と、みんな神経質になっている。それはそれで大変良いことなので、「もっと汚染のない食品を供給せよ」という声を上げ続けてもらえば良い。

 しかし、放射線防護学者からみると「ちょっとそれは気にしすぎだ」ということがいっぱいあります。「福島産」と名前がついただけで買わない人たちもいます。消費行動は個人の自由だからそれも良いけど、一方で「がんばろう。福島」と言って、「福島と名前がついた産品は買わない」というのは、ちょっと理性的とは言えないかもしれない。

 須賀川市の農民は、「表層土数センチに放射能がつかまっている」ことを学習して、表層土を取り除いて、放射能がないことを確認して、野菜を作っています。福島の人は、今差別と偏見と風評被害にさらされています。

 反原発のポスターに、「私は福島県生まれというだけで結婚できないでしょうし、子どもも産めないかもしれません」という、福島の高校生のメッセージが書いてあります。あれはいけない。「福島はそんなに汚染されているのか」と、却って風評被害を撒き散らして福島の女性が結婚しにくくなるかもしれない。今被害のどん底に喘いでいる人々に、あまり非科学的な怖がり方をして足を引っ張るようなことはしたくないと思います。

   計画的廃絶への政策転換

 「このまま原発に依存し続けるのか」よくよく考えてほしい。私は原子力工学科出身にも関わらず、「この国は原発を計画的に廃絶する以外にはない」と考えています。

 原発を明日とめても、放射性廃棄物の始末は十万年単位で残っていきます。電力会社にしてみれば、百万キロワットの原発をとめることは、一日何億という収益をあきらめ、自らの責任で一日何千万円もかけて冷やし続けるということです。国民の総意で強制的にとめさせるのだから、国民の側も税金投入なども覚悟し、国会で議論した上で計画的に順次止め、廃絶することが必要だろうと思います。

 代替エネルギーにしても、よく言わるのが水力発電ですが、大規模なダムの建設なんかは脱ダム宣言なんかした自治体もあって難しくなっている。「低落差小規模水力発電」というのがあります。小川の流れを利用すれば、一軒の電力を生産するくらいの電源になるものもある。オーディオ会社のオンキョーが、自社の小型モーターの転用で、低落差小規模水力発電所を考えているそうです。

 太陽エネルギーと風力エネルギーで、一番困るのはお天気次第ということです。一ヶ月前に「ドイツでハイブリット発電」というニュースがありました。風が吹いている時に起こした電気で水を電気分解し、水素をタンクにためておく。そして電気が必要な時にその水素を使って水素燃料電池という形で電力を作ります。

 「もう原発をやめるのだ」と覚悟ができて政策的に明確な方針がでれば、それ以外の自然エネルギーの開発にもっと熱心になるし、そういう需要もできるから、産業界も新たな技術開発転換していくわけです。

 今の「ウランを軽水炉で使っているのは先行きそんなに持たない」というので、「高速増殖炉もんじゅ」を開発しようとした。天然ウランの九九.三パーセントを占める「ウラン二三八」、これはそんなに燃えないので、プルトニウムに能率よく変えて燃料を増殖しながら発電するというものです。世界中で「とてもじゃないけどこんな危ないものは出来ない」と言っているのに、日本だけがやっている。

 そしたら案の定九五年に事故を起こして、去年運転を再開したと思ったら炉心に三トンの落下物があって「もんじゅがおしゃかになった」という有名な駄洒落があるくらいです。あれで二兆四千億円かかっている。そんなお金があるのだったら、それで太陽光発電とか、風力発電の新たな技術開発をやっていれば、とっくに問題は楽になっていたかもしれない。そういう意味では政策転換をきちっとやっていくことが必要なのです。

 あとは「平準化」です。

 日本は、春と秋は電気が有り余っているので発電所を止めている。そして夏七月から八月にかけて冷房ですごい電力を使います。工業製品なら、工場に余力のある時に作って倉庫に貯めておけば良いのだけど、電力は貯められない。消費と同時に生産しなければいけない唯一の商品なので、一番のピークの時にも停電にならないように原発をいっぱい作って待ち構えている。だから電力使用を平準化すれば、原発なんか全然要らないのです。

 今年その試みで、高校野球の決勝戦を、電力のピークに重ならない、朝の九時三〇分からやったのです。それで原発一基分くらい削れるなら良いじゃないですか。このように、政策目標をきちっとすれば極簡単にできることもいっぱいあるのです。

 それから「電力貯蔵技術」。

 春と秋余っている電力を「電力貯蔵所」に貯めておくことができるようになれば、夏場、冬場の必要とする時に貯めた電力を供給すれば良い。

 電力を貯蔵する最大の技術は「揚水式発電所」です。昼間水を落として発電し、夜間余った電力で水を汲み上げる。直接貯めているのは水ですが、もう一回水力発電に使える。

 もっと直接的に、大量の電力を貯めておけるような「超伝導技術」を開発すれば良い。日本はずっと開発研究をしていて二つの方式が提案されているのですが、その耐震性なんかももちろんあるから、安全性は確保してもらう。

 それから、「節エネルギー型の生産・流通・廃棄のあり方」。

 「自動販売機文明」に依存することをやめると原発四基位なくなる。ドアが勝手に開く。トイレ蛇口に手をかざすと勝手に水がでる。まだまだ減らせることはいっぱいある。やっぱり系統的に生産・流通・消費・廃棄の過程で全体に渡ってやった方がいいと思います。

   明確な指導原理と百年の計

 我々はどういう価値観をこれからの生活の導き手にするのか。「便利な生活が価値ある生活」と思うのか。「環境を破壊しない、自然にやさしい生活」に価値を見出すのか。

 原子力を計画的に廃絶するにも仮に続けるにも、明確な指導原理に基づく計画的な「国家百年の計」が必要なので、そういう政策を担える中央政権が樹立されないと難しい。

 その時に、さっき言った「八つの蛸足」、原子力村の仲良しクラブと国家と資本が結びついた、「がむしゃらな利潤追求型、環境負荷の産業はいかがなものか」という声を、我々は集めることができるだろう。みんなが放射能に対してすごい関心を持っている。その関心の一部を国のありようを選びとる政治のあり方、経済のあり方にも振りむけてくれるとうれしいというわけです。以上でお話は終わります。

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